かくてこのあひだにことおほかり。けふわりごもたせてきたる人、そのななどぞや、いまおもひいでむ。このひとうたよまむとおもふこころありてなりけり。とかくいひいひてなみのたつなることゝうれへいひてよめるうた、
「ゆくさきにたつしらなみのこゑよりもおくれてなかむわれやまさらむ」
とぞよめる。いとおほごゑなるべし。もてきたるものよりうたはいかゞあらむ。このうたをこれかれあはれがれどもひとりもかへしせず。しつべきひともまじれゝどこれをのみいたがりものをのみくひてよふけぬ。このうたぬしなむ「まだまからず」といひてたちぬ。あるひとのこのわらはなるひそかにいふ「まろこのうたのかへしせむ」といふ。おどろきて「いとをかしきことかな。よみてむやは。よみつべくばはやいへかし」といふ。「まからずとてたちぬる人をまちてよまむ」とてもとめけるを、よふけぬとにやありけむ、やがていにけり。「そもそもいかゞよんだる」といぶかしがりてとふ。このわらはさすがにはぢていはず。しひてとへばいへるうた、
「ゆくひともとまるもそでのなみだがはみぎはのみこそぬれまさりけれ」
となむよめる。かくはいふものか、うつくしければにやあらむ、いとおもはずなり。わらはごとにてはなにかはせむ、おんなおきなてをしつべし、あしくもあれいかにもあれ、たよりあらばやらむとておかれぬめり。
問1「このひとうたよまむとおもふこころありてなりけり」とは、どういう事情を言うのか、説明しなさい。
問2「このうたをこれかれあはれがれどもひとりもかへしせず」とあるが、その理由を説明しなさい。
問3「わらはごとにてはなにかはせむ、おんなおきなてをしつべし」とはどういうことか、答えなさい。
問4 この童の歌を「かくはいふものか、うつくしければにやあらむ、いとおもはずなり」と、一応の評価を与えている。その理由を説明しなさい。
このエピソードは、若菜のそれと対になっている。気の利いた歌と気の利かない歌である。破籠を持ってきた男がいる。破籠は、長櫃に比べると、かなり小さい。贈り物は、歌を披瀝するための出汁(口実)に過ぎない。この男は、自分の歌を披瀝したかったのである。(問1)歌のきっかけを自ら作り出し詠む。しかし、どうにもセンスが感じられない。書き手には、その意図が見え透いていたのだろう。波より大きい声とはどれほどのものなのだろう。どうにもいただけない。贈り物を貰ったので、一応歌に感心してみせるが、誰も返歌する気がしない。返歌すべき人までもしない。(問2)しかし、それで気が済まないのは、歌の主である。有名な歌人からの返歌がほしかったのだろう。返歌して貰わないうちは帰るに帰れない。しかし、夜が更けてきたこともあり、「まだ帰らない」とは言うが、半ば諦めて退出した。すると、或る人の子である童が「僕が返歌をする。」と言う。本当に詠めるのか、いぶかしく思い、何と詠んだのかと問う。すると、歌の主が帰ってきたら詠むと答える。それが、とうとう帰ってこないので、何と詠んだのか無理に聞き出す。すると、予想外に感心な出来であった。しかし、子どもが詠んだというのでは、相手も納得しないに違いない。女か翁が詠んだことにしてしまうのが良かろう。「おきなおんなて」は、女か翁が筆で書くこと。(問3)童の歌は、歌としての形式は整っている。ただ、あり得ないような大袈裟な内容である。しかし、だからこそ、あの歌の返歌としてはふさわしかった。誇張表現には誇張表現で返す。見事な対応だった。(問4)
退屈な日々を過ごす中で、久しぶりに刺激的な出来事だったのだろう。事の成り行きや登場人物の気持ちが生き生きと伝わってくる。
コメント
女翁を媼と読み違えました。童、子供っぽい文字では良くないと言うのもあるでしょうけれど、文字を書くのが覚束ないくらいの幼さなでもあるのでしょうか?女子供の歌にも及ばない、と暗に法螺貝の君(勝手に名付けました)の歌をけなしているのかと思いました。書くのがお父さんだと、「後から送って寄越すくらいなら、なぜあの場で返歌してくれなかったのか」と難癖つけられそうです。女翁が書くのが妥当なのですね。童の歌「‥みぎはのみこそぬれまさりけれ」、目蓋のふちばかり涙を溜めて、法螺貝の君、嘘泣きの風を見て取られたのかと思いました。
「女翁童」、この組み合わせが不思議だと思ったのですが、「亡き子」の段が思い出され、フィクションと分かりつつ、貫之の幻の家族を見る思いがしました。女=亡くなった娘が育っていたら、、童の母? 翁=貫之、童=孫(お祖父さん譲りの歌の才能があったりして)。
文字を含めて、女翁が書いたとする方が良かろうと考えたのでしょう。貫之自身が書いたとするほどの出来ではないし、女翁が無難なところだったのでしょう。
また、そうすることで、暗に破籠の男の歌をけなしているというのは、納得できます。童の歌を皮肉な内容と見るのはどうでしょう?「のみ」は、「みぎは」だけでなく、文全体を限定しています。
「女翁童」の組み合わせは、舟にどんな人が乗っているかを想像させるものになっていますね。これがあるからこそわかります。周到に書かれていますね。
そういう話だったのですね。
私は、もらった歌はすごく素晴らしい歌で、みんな感動しそれに浸っていて、それで返歌出来ないのかと思いました。
あんまりいい歌ではなかったから、みんな、返歌する気にならなかったとは。
童の返歌は素晴らしいと思いました。
僕が返歌するよ、なんて。そういうことを言うのって勇気いりますよね。
なんて気がきいた子なのでしょう。
パッと浮かんだんでしょうかね。
この童はなかなか教養が有りますね。さすがに貫之の一族です。「門前の小僧習わぬ経を読む」と言います。知的で風流な環境で育ったことがわかります。
この童の歌の出来によって、破籠の男の歌の稚拙さが際立ちました。歌の出来には厳しい貫之の一面が表れました。