よきひとの心遣い

七日になりぬ。おなじみなとにあり。けふはあをむまをおもへどかひなし。たゞなみのしろきのみぞみゆる。かゝるあひだにひとのいへのいけとなあるところよりこひはなくてふなよりはじめてかはのも、うみのも、ことものども、ながびつにになひつゞけておこせたり。わかなぞけふをばしらせたる。うたあり。そのうた、
「あさぢふののべにしあればみづもなきいけにつみつるわかななりけり」。
いとをかしかし。このいけといふはところのななり。よきひとのをとこにつきてくだりてすみけるなり。このながびつのものはみなひとわらはまでにくれたれば、あきみちてふなこどもははらつづみをうちてうみをさへおどろかしてなみたてつべし

問 ①~④からどのような思いがわかるか、答えなさい。
①「七日になりぬ」
②「たゞなみのしろきのみぞみゆる」
③「わかなぞけふをばしらせたる」
④「ふなこどもははらつづみをうちてうみをさへおどろかしてなみたてつべし」(「さへ」は「までも」の意。)

いたずらに日を過ごして、とうとう七日になってしまった。こんなはずではなかったのに。(①)七日と言えば、京では白馬節会が開かれている。しかし、白馬どころか、白と言えば、波頭が見えるばかりだ。船旅は味気なく辛いものだ。(②)こうしてぼやいていると、「池」と名の付く所に住む、これまで関わりの無かった人が、鯉(恋)ではない贈り物を長櫃にいっぱい届けてくれた。その中に若菜が入っていた。七日は、若菜の節でもある。お陰でそれが行えた。せめてもの慰めになった。(③)とても気の利いた贈り物だった。地名を詠み込んだしゃれた歌が添えてあった。この人は、身分の高い人の娘でこの地に嫁入りしたようだ。なるほどそれなら納得できる。長櫃の贈り物は、すべての人、子どもまでくれたので、腹一杯食べて満足して、舟人たちは、腹鼓を打って海までも驚かして波が一層立ってしまったに違いない。そう思えば、この長い足止めも少しは気が晴れる。(④)
曲がりなりにも、若菜の節を行えて、ユーモアを言えるほど気持ちに少し余裕が生まれたのだろう。ただ、この歌に返歌していない。若菜の贈り物と共にあまり気が利いていたので、感激のあまりできなかったのだろう。
歌と贈り物に気が利いている理由を上げており、しかも、それを「よきひと」に結びつけているところが貫之らしい。

コメント

  1. すいわ より:

    若菜と歌、京風の贈り物に心癒されたのですね。返歌しなかったのは、折角の素晴らしい贈り物に対する返礼を、その場の間に合わせのもので済ませたくなかったのではないかと思いました。

    • 山川 信一 より:

      返礼の贈り物にも関わったのかもしれませんね。ただ次の歌と考え合わせると、返歌できなかったのは、歌の内容によるとした方が整合性が有るかもしれません。
      とは言え、歌と返礼はセットで考えるべきですね。

  2. らん より:

    急に日記が長くなり、またくすっと笑ってしまいました。
    いっぱい書くことが出てきてよかったですね。
    若菜の節をみんなが感じられてよかったなあ。
    気の利いた送り物は嬉しいですね。
    みんなが喜んでいる様子が浮かびました。
    贈ってくれた方は素敵な人ですね。
    私もそんな人になりたいです。

    • 山川 信一 より:

      「若菜の節」は、行事を通して季節を感じることですね。みんなの喜びが伝わってきますね。
      贈り主は、人の心を思いやれる教養の有る人なのでしょう。こういう人に憧れますね。
      ただ、貫之はそれを氏素性と結びつけています。やはり、京を中心にした考えの持ち主なのです。

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