《贈る理由》

めのおとうとをもて侍りける人にうへのきぬをおくるとてよみてやりける なりひらの朝臣

むらさきのいろこきときはめもはるにのなるくさきそわかれさりける (868)

紫の色濃き時はめもはるに野なる草木ぞ分かれざりける

「妻の妹を妻としてしておりました人に袍を贈るということで詠んだ 業平の朝臣
紫の色濃い時は目も遙々と野にある草は区別されない。」

「おとうと」は、年下のきょうだいであれば性別は問題にならない。妹も表す。「めもはるに」は、「目も遥に」と「芽も春に」が掛かっている。「(野)なる」は、助動詞「なり」の連体形で存在(=にある)を表す。「(草木)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(分かれ)ざりける」の「ざり」は、助動詞「ず」の連用形で打消を表す。「ける」は、助動詞「なり」の終止形で詠嘆を表す。
紫草が芽吹いています。花の色は白いのですが、染料となるその根は紫です。私には白い花を見ながらも紫の色が想像されます。その色が特に濃いはずの春には、目も遥かに見渡される野にある草木の区別が付きません。それと同じように、紫草のように若く美しい妻を愛する私には、妻と縁続きの人が差別無く愛おしく思われることです。
作者は、妻の弟に袍を贈る理由を説明している。
前の歌とは、「紫」繋がりである。前の歌の心を生かして作られている。「皆がらあはれとぞ見る」の具体例である。「紫の色濃き」は、愛情の深さを暗示している。「うへのきぬ(=袍)」は、朝廷に出仕する時に着る衣服である。言わば必需品である。妻の姉の夫がそれを贈るのだから、何か事情が有ることが暗示されている。たとえば、貧乏で買えないとか。しかし、だからと言って、人にはプライドがあるから、妻の姉の夫からの施しは受けたくないはず。そこで、作者は、贈る理由を説明して、贈り物が施しにならぬよう相手を気遣ったのである。
編集者は、こうして二つの歌を繋げることで歌集に物語性を加えている。
この歌は『伊勢物語』第四一段にもある。二つの歌が『伊勢物語』の作者の想像力を掻き立てたのだろう。贈った理由を物語に仕立てている。ただし、『伊勢物語』では、前の歌は「武蔵野の心」という形で暗示されている。

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