《人の死と桜》

さくらをうゑてありけるに、やうやく花さきぬへき時にかのうゑける人身まかりにけれは、その花を見てよめる きのもちゆき

はなよりもひとこそあたになりにけれいつれをさきにこひむとかみし (850)

花よりも人こそ徒になりにけれいづれを先に恋ひむとか見し

「桜を植えてあったが、そろそろ花が咲きそうな時期にあの植えた人が亡くなってしまったので、その桜を見て詠んだ 紀茂行
花よりも人が儚くなってしまった。しかし、どちらを先に恋しく思うだろうと見たことか。」

「(人)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接に逆接で繋げる。「(なり)にけれ」の「に」は、助動詞「ぬ」の連用形で完了を表す。「けれ」は、助動詞「けり」の已然形で詠嘆を表す。「(恋ひ)む」は、助動詞「む」の終止形で推量を表す。「とか(見)し」の「と」は、格助詞で引用を表す。「か」は、係助詞で疑問・詠嘆を表し係り結びとして文末を連体形にする。「し」は、助動詞「き」の連体形で過去を表す。
花が散るよりも先にこの桜の木を植えた人の方が亡くなってしまった。しかし、以前は人の命の桜の花のどちらが先に恋しく思うだろうかなどとは思ってもみなかったなあ。なぜなら、桜の花ほどもろく儚いものは無いと思っていたからだ。実は、そうではなかった。何と人の命のもろく儚いことか。
桜の花の移ろいやすさにこと寄せて人の命の儚さを言う。
この歌も前の歌と同様に自然物を梃子として死への思いを表している。ただし、この歌では、対象が「君」ではなく「人」で表されている。これは、対象がそれほど親密でないことを表している。そして、こういう場合、心情が故人その人への感情から死への一般的な感慨に変わってくることを表している。つまり、この歌は、この場面でたまたま思ったことだけでなく、一般にこんな場面ではこういう思いを抱くものだと言っている。こうして、この歌も特殊と一般を兼ね備えている。優れた歌の条件はこうでなければならないとでも言うように。また、「こそ」と「か」と係り結びが二箇所使ってある。それが言外の思いを効果的に表している。編集者は、こうした内容と性格と表現を評価したのだろう。

 

コメント

  1. すいわ より:

    一個人の事情を歌いつつその事象を万人が共有できる歌。誰もが経験し得るから自身に応用できる優れた「定型」をこの歌で選び示したのですね。
    きっと心待ちにしていたであろう花の咲くのを待たず逝ってしまった人。儚いと思っていた花よりも儚い人生。その時見送った心残りの季節も、また巡り再会できるというのに逝ってしまった人にはもう二度と会うことが出来ない。花を儚いと見るか、人を儚いと見るか。本当のところ比べようもない事であったなぁ、、。なるほど「人」に自分の思う人を当てはめてこの歌を実感することが出来ます。

    • 山川 信一 より:

      作者はこの家の主人であり、「かのうゑける人」は、使用人を指しているのでしょう。そのためにもあり、亡くなった人への悲しみよりも命そのものの儚さへの感慨が湧いてくるのです。一方、この歌は、誰に読ませるために詠んだのでしょうか。それが具体的にはっきりしません。しかし、それがかえって万人に向けてという感じを与えます。そして、この考えへの共感を呼ぶのでしょう。

タイトルとURLをコピーしました