題しらす 平貞文
あきかせのふきうらかへすくすのはのうらみてもなほうらめしきかな (823)
秋風の吹き裏返す葛の葉のうらみても猶恨めしきかな
「題知らず 平貞文
秋風が吹き裏返す葛の葉の裏を見るではないが、恨んでもやはり恨めしいことだなあ。」
「秋風の吹き裏返す葛の葉の」は、「裏」を導く序詞。「うらみても」は、「裏見ても」と「恨みても」の掛詞。「(恨めしき)かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
秋風が葛の葉に吹いて葉を裏返します。葉の裏は白く、秋風は色を反転します。私も秋風が吹くようにあなたに飽きられて心が反転しました。あなたを愛していた分、恨む気持ちが沸き起こってきます。恨んでも恨んでも猶も恨めしくてならないのです。
裏が白い葛の葉にたとえて、自分の心を反転させた相手を恨む気持ちを表している。
前の歌とは「秋風」繋がりである。この歌は、裏が白い葛の葉を取り上げたところに独自性がある。それによって、相手によって自分の心が反転した様を映像化している。愛憎は裏表一体である。愛すればこそ、それが裏切られれば、憎しみや恨みが生まれる。愛すれば愛するほど憎しみや恨みは強くなる。終わった恋をしみじみと受け入れるのはなかなか難しい。当然良いところもあったはずなのに、嫌な面ばかりに心が支配されてしまう。編集者は、人の悲しいこのさがを葛の葉の反転で象徴した点を評価したのだろう。
コメント
822番の小町の「あきかせにあふたのみこそかなしけれわかみむなしくなりぬとおもへは 」の「秋風」繋がりですね。823番のこの歌も「あきかぜ“に”」かと思ったのですが、「に」だと「秋風」が「葛の葉」にまでしか届かない。「の」にする事で「うらみても」の方に、より意識が向くように仕掛けてあるのでしょうか。
なるほど葛の葉は裏が白くて表側とのコントラストが強い。秋(飽き)風によって翻意した相手の心同様、詠み手の愛情も恨みの感情に反転する。葛が旺盛にその蔓を伸ばすように広がる恨み。背中合わせの感情、シーソーが傾くように一瞬で景色が変わってしまうコントロールの効かなさ。人の心はままなりませんね。
この歌は「秋風に」すると、「裏返す」は「裏返さるる」になります。つまり、客体の被害意識が強調されます。それに対して「秋風の」だと主体である「秋風」が強調されます。ここは、「秋」すなわち「飽き」を主体にしたかったのでしょう。「飽き」が恨みを生むのだと。つまり、「飽き」による愛憎の反転がテーマになっています。