《秋の気付き》

題しらす 源宗于朝臣

つれもなくなりゆくひとのことのはそあきよりさきのもみちなりける (788)

つれもなくなりゆく人の言の葉ぞ秋より前の紅葉なりける

「題知らず 源宗于朝臣
冷ややかになってゆく人の言の葉こそが秋より前の紅葉だったのだなあ。」

「(言の葉)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「なりける」の「なり」は、助動詞「なり」の連用形で断定を表す。「ける」は、助動詞「けり」の連体形で詠嘆を表す。
秋より先に葉が紅葉するものは何かと思っていたけれど、何と、そっけなく変わって行くあの人の言の葉こそがそれだったのだなあ。
言葉の変化を紅葉にたとえて映像化している。心にも秋(飽き)が訪れて、言葉も変化していく。ことばを「葉」の一種と捉え、相手の言葉に愛情が籠もらなくなってきたことを紅葉したと言う。平安貴族は、心に余裕があったのだろう。試みに様々なことを考えている。この歌は、それまで「秋より前の紅葉」とは何かについて考えていることが前提になっている。その上で、言の葉がそうだったのだという発見を述べている。「ぞ・・・ける」の構文はそれを表している。編集者は、こうした発想と表現とを評価したのだろう。恋五は、恋の「四季」が終わり、つまり、作者が現在進行形の恋の当事者ではなく、終わった恋を傍から眺めている歌が多い。これも相手に贈った歌ではなく、一人で嘆いているのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    秋風が吹いて木々が紅葉するより前に人の心が冷めて(離れて)言の「葉」が枯れてしまう。なるほど!と思ってしまいました。他人事だからそう思えるのですよね。これが当事者で実感を伴ったものだとしたら辛い。言葉の花束を贈り合っていたはずなのに、相手の冷たい言葉にこちらの心も冷め、乾いた一方通行の思いは受け止められることもなく秋風に吹き流される。美しいはずの秋、肌寒さが身に染みそうです

    • 山川 信一 より:

      「私はこんな発見をしました。何と、あなたのことだったとはね。」この歌を相手に贈ったとすれば、発見にこと寄せたかなりの嫌味ですね。

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