《嫌な秋風》

題しらす よみ人しらす

こぬひとをまつゆふくれのあきかせはいかにふけはかわひしかるらむ (777)

来ぬ人を待つ夕暮れの秋風はいかに吹けばか侘しかるらむ

「題知らず 詠み人知らず
来ない人を待つ夕暮れの秋風はどんなふうに吹くから、つらく悲しいのだろうか。」

「(来)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(吹け)ばか」の「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「か」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして文末を連体形にする。「侘しかるらむ」の「侘しかる」は、形容詞「侘し」の連体形。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の終止形。
来てくれないあの人を待つ夕暮れ時、秋風が吹いてつらく悲しい気持ちになる。秋風と言えば、長くつらい夏の終わりを告げる嬉しいはずのもの。歌にも「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」あるではないか。それなのに、私には一体どういうふうに吹いているのだろう、こんなに嫌な気持ちになっているのは。
前の歌とは秋繋がりである。ここでは、「風」を出してきた。触覚にも訴える。作者は秋風に対して人とは異なる思いを抱いてしまう。好ましいはずの秋風がつらく感じられるのである。そのことを言うことで自分がいかにつらい思いをしているかを表している。この歌には、好ましいはずの秋風がそうでなくなることもあるいう発見が有る。係助詞「か」は、同じ疑問を表しても「や」のような問い掛けではない。答えを求めているのではない。むしろ、疑問の形で詠嘆を表している。また、「らむ」を使うことで現在を強調しリアリティを生み出している。編集者はこうした発見・表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    夕暮れの秋風ほど心地よいものはないはずなのに、こんなにも寂しい気持ちになるのはどうしてでしょう?こんな私を癒すにはどんな風が吹き込めば良いというのでしょう?そう、「こぬひとをまつゆふくれ」でなければこんな気持ちにはならない。あなたさえそばにいればいいのに、、。助詞の使い方でこれだけの内容を盛り込めるのですね。心地よい秋風を知っているからこそ侘しい。その心地よさを共有する人がいてこそ味わい深くなるのですね。

    • 山川 信一 より:

      係助詞の「は」は、取り立てを意味しますね。それはそのことを主題にしつつ、他の事を排す働きを持ちます。『古今和歌集』は、助詞・助動詞の使い分けをとても大事にしていますね。

  2. まりりん より:

    心地よい筈の秋風なのに、来ない人を不安な気持ちで待っているからか、辛く感じてしまう。風の冷たさが肌に突き刺さる。。
    どんなに素晴らしいものも、自分の精神状に強く影響される。それ次第で、良くも悪くもなるのですね。

    • 山川 信一 より:

      「どんなに素晴らしいものも、自分の精神状に強く影響される」にしても、「風の冷たさが肌に突き刺さる」わけではないでしょう。要するに、秋風のよさが少しも伝わってこないのです。そこで「一体なぜ?」「どう吹いたらこうなるの?」と訝っているのです。「月夜」「初雁の音」に続くシリーズです。

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