《月夜を厭う女心》

題しらす よみ人しらす

つきよにはこぬひとまたるかきくもりあめもふらなむわひつつもねむ (775)

月夜には来ぬ人待たる掻き曇り雨も降らなむ侘びつつも寝む

「題知らず 詠み人知らず
月夜には来ない人が待たれる。掻き曇り雨も降ってほしい。つらく思いつつも寝るだろう。」

「(来)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(待た)る」は、自発の助動詞「る」の終止形。「(降ら)なむ」は、願望の終助詞。「(侘び)つつも」の「つつ」は、接続助詞で反復継続を表す。「も」は係助詞で強調を表す。「(寝)む」は、推量の助動詞「む」の終止形。
月夜には、来てくれないあの人も、清らかな月に光に誘われて、ひょっとしたら来てくれるのではないかという思いを抱いてしまう。でも、それはいつものようにきっと空頼みになってしまう。月夜は、なまじ期待を持たせる分、かえって残酷だ。だから、空が急に雲って雨までも降ってほしい。それなら、つらく思いながらも諦めて寝てしまうだろうから。
この歌も前の歌と同様、来ない男を待っている女の気持ちを詠んでいる。清らかな月夜はロマンチックな出来事を期待させる。しかし、空頼みに終わるならいっそのこと期待させないでほしいと言うのだ。
恋人が逢うのにふさわしい月夜。それを空頼みがつらいから掻き曇り雨までも降ってほしい、期待しないでつらくても寝てしまう方がましだと言う。この歌は、こうした複雑な女心を捉えている。また、この歌は三つの文からなっている。しかし、その関係は明示されていない。そこで、読み手はその繋がりを考え、詠み手の心を想像する。編集者は、この内容と表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    こんなに美しい月夜だから貴方が来ると期待して待ってしまう。そんな事は無いとわかっているのに。きっと誰かの元へ行っているのでしょう?そう思うと私の表情は曇り涙してしまうのです。ならばいっそ見上げる空も私の心のように曇って、雨も降ればいい。そうしたら貴方を足止めしてくれるかしら。そんな闇い思いを抱きつつ侘しく一人、今日も眠りにつくことになるのでしょう、、。一緒に眺めた思い出があればこそ、その輝く月の美しさにただ一人照らし出され、恋が終わっていることを思い知らされる。残酷なまでに冷たく美しい月が空に浮かぶ様が思い浮かびます。

    • 山川 信一 より:

      清らかな月夜に男がやってこない。このことは、様々な連想を呼び起こしますね。楽しかった過去の思い出、他の女性への嫉妬、今の境遇への寂しさ、将来への不安・・・。これが作者の心を苦しめます。ならばいっそのこと、月など出ない方がいい。そうすれば、「侘びつつ寝」るだけで済みます。

  2. まりりん より:

    月が出ていても出ていなくても、どちらにせよ恋人が逢いに来ないのは寂しい。同じ寂しいにしても、月の美しい夜よりは曇って月が見えない夜の方が マシ と言っている訳ですね。確かに、色々な思いに心掻き乱されて眠れぬ夜を過ごすくらいなら、 侘びつつ寝る だけの方が、まだ眠れるだけマシですね。

    • 山川 信一 より:

      ただし、作者が言いたいのは、「雨の方がまし」という結論ではなく、「雨の方がまし」と思わせる理由の方です。つまり、「月夜」によって切りもなく考えてしまうあれやこれやの方です。なぜなら、これは留まる所を知らず、どんどん深みにはまっていくからです。読み手にそれを具体的に想像させようとしています。

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