題しらす よみ人しらす
わすれくさたねとらましをあふことのいとかくかたきものとしりせは (765)
忘草種採らましを逢ふ事のいとかく難き物と知りせば
「題知らず 詠み人知らず
忘草は種を取っておくのだったなあ。逢うことがこのように難しいと知っていたなら。」
「(採ら)ましを」の「まし」は、反実仮想の助動詞「まし」の終止形。「を」は、間投助詞で詠嘆を表す。以下は倒置になっている。「(知り)せば」の「せ」は、サ変動詞「す」の未然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
忘草は種を取っておいてそれを蒔けばよかった。きっと忘れ草が生い茂ってあの人を忘れることができただろうになあ。逢うことがこんなに難しいと思っても見なかった。それを知っていたらそうしたのに。
逢えないつらさを忘れ草にこと寄せて嘆いてみせた。
「(袖に降る)時雨」「(恋しい人を映す)山の井」に続き「(恋しい人を忘れる)草」と続いている。恋歌は、自然物をいかに用いて詠むかが腕の見せ所である。一連の歌はそれを示している。忘草は、萱草のことで、百合に似たオレンジ色の花である。それを眺めたり食べたりすると、心配事を忘れられると思われていた。恋しい人に逢えないのはつらい。つらいことはいっそ忘れてしまいたいと願うのは、人の常である。だから、忘草に縋りたくもなる。しかも、この歌では、種を蒔いて生い茂らせようとする。よほど、忘れたいのだろう。作者は、その強い気持ちを「まし」「せば」を倒置によって表している。編集者はその心理と表現を評価したのだろう。
コメント
忘草の種を蒔いて生い茂らせたい程に忘れてしまいたいとは。。逢えなくて余程辛い思いをしたのでしょうか。公に出来ない間柄だったとか。密会の約束に、悉く邪魔が入ったとか、、色々想像してしまいます。
確かに、「まし」「せば」の倒置が効いていますね。
逢えないつらさをどう表したらいいか。こなに辛いとわかっていたなら、忘草の種を蒔いて生い茂らせただろうというのもその最大限の表現の一つですね。単なる「忘草」じゃないところに工夫がありますね。
忘れたいのでしょうか。忘れてしまえれば楽なのに、ということなのでしょうね。
こんなにも逢えない人だったとは。会えない辛さに堪えられない。こんなことなら忘れ草の種を取っておいたのに、、。
忘れ草の力を借りなければ忘れられない。それ程までに忘れ難い人と今更に思ってしまう。出会わなければあ良かったのか?でも出会って恋をした。そして終わった。忘れ草で誤魔化すくらいで消え去る恋ならば悩みませんね。
すべては時が解決してくれると言いますが、恋の辛さには、時を待てない、それまで耐えられないほどの辛さもあります。その時、どうしたら忘れることができるかと苦しめば、こんな思いにもなるのでしょう。