第五十七段 ~泣き落とし~

 昔、男、人しれぬもの思ひけれ。つれなき人のもとに、
 恋ひわびぬあまの刈る藻にやどるてふわれから身をもくだきつるかな

 昔、男が人知れず恋に悩んでいた。冷淡な(「つれなき」)人の元に、
〈叶わぬ恋に悩んで、途方に暮れています。漁師が刈る藻に宿るという(「てふ」)虫のワレカラ(割れ殻)のように、私は自分(「われ」)からこの身までも砕いてしまったことですよ。〉
あまの刈る藻にやどるてふ」は「われから」を導く序詞。「われから」は海草につく虫で、引き上げると殻が割れてしまうので、こう言う。その名に〈我から〉を掛けた。印象的な序詞を使い、巧みに歌っている。(「くだきつる」の「つる」は意志的完了の助動詞「」の連体形。自分で砕いてしまったのである。)
 ではこの歌で女の気持ちは動いただろうか。つれない女に訴える歌は、東西を問わずある。たとえば、イタリア歌曲の「Caro mio ben」もそうだ。
「いとしい女よ/せめてわたしを信じよ/貴女がいないと/心がやつれる/貴女に忠実な男は/いつもため息をついている/やめよ、むごい女よ/それほどのつれなさを。」
 女に泣き落としは通用するのか。男にとって女心は永遠の謎だ。

コメント

  1. すいわ より:

    誰に相談することもなく、心の内で募る思いに悩んでいた男。あなたを思うあまり、身も砕けてしまった、哀れな私に情けをかけてください、と。
    静かな水面を見るだけではわかりませんね、海の中、藻に宿るてふは(あなたに思いを寄せる私は)波に漂う藻の有り様一つで揺らいでしまいます。ひとたび海から引き上げられたなら、ご覧なさい、あなたへの思いの深さを。私は自らを砕いてしまった(私の心を見てください)
    という感じなのでしょうか。
    まずは伝えない事には伝わらないですね。でも、脈のない人を深追いすると、かえって逃げられるのでは?相手に追ってもらうには、さぁどうしましょうね。
    やはりここは「歌」なのでしょう。カンツォーネ、窓の下で歌い上げて女が窓を開いてくれるのを待つ、一緒ですね。

    • 山川 信一 より:

      男は何とか女の心を開こうとしてはいます。しかし、ここまでくると、それは建前で、本音では今の自分にマゾヒスティックに酔っているような気もします。
      「ああ、可愛そうな自分よ!」と。恋には、こんな味わいもあるのではないでしょうか?この態度は、女性にもありそうな気がします。
      歌の解釈ですが、「海の中、藻に宿るてふは(あなたに思いを寄せる私は)波に漂う藻の有り様一つで揺らいでしまいます。」から察するに、「てふ」を蝶と解していませんか?
      これは、「と言う」を意味する言葉です。男は貴族ですから、実際に海から引き上げるとすぐに割れてしまう虫を見たことがなかったのです。

  2. すいわ より:

    仰る通りの読み違いをしておりました。
    ひたすらに自己陶酔している歌、なのですね。恋に破れた自分も美しく歌にまとめる、ただ、恋に破れたでは終わらせない。哀れ、というよりむしろあっぱれ、ですね。

    • 山川 信一 より:

      恋は奥が深い。様々な味わい方があるようですね。おっしゃるとおり「あっぱれ」です。

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