《後悔》

題しらす 藤原かねすけの朝臣

よそにのみきかましものをおとはかはわたるとなしにみなれそめけむ (749)

余所にのみ聞かましものを音羽川渡るとなしにみなれ初めけむ

「題知らず 藤原兼輔の朝臣
余所にのみ聞ているのだったのに、どうして音羽川を渡ることなくみなれ始めたのだろう。」

「のみ」は、副助詞で限定を表す。「(聞か)ましものを」の「まし」は、反実仮想の助動詞の連体形。「ものを」は、接続助詞で逆接を表す。「みなれ」は、「見慣れ」と「水馴れ」の掛詞。「(みなれそめ)けむ」は、過去推量の助動詞の連体形で原因理由の推量を表す。
こんなことになるのだったら、関係を持たずに遠くから噂にだけ聞いていればよかったのに、どうして私は、音羽川を渡ることができないのに水に馴れ初めるように、逢い難い事情を克服できないのに女に馴染み始めたのだろう。そのために苦しくてならない。
作者は、逢い難い事情が有る女となまじ関係を持ったために、容易に逢えず苦しんでいる。その苦しさを相手に伝えることもできず、歌にして自ら嘆くしかなかった。
この歌の独自性は、苦しい思いを川渡りにたとえたところにある。その川を「音羽川」にしたのは、「音」が「噂」に通じるからである。また、川に関連づけ「みなれ」の掛詞を用いている。編集者はこうした工夫を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    恋五、まるでイタリア歌曲のようですね。洋の東西を問わず、やり場の無い気持ちを歌に託す事で充満して爆発しそうな心の圧を下げているのでしょうか。でも、イタリアだったら窓の下とかで大声出して歌っちゃうのでしょうね。件の詠み手、書き付けた歌の山に埋もれていそう。渡れない音羽川、あちら側とこちら側、そもそも立ち位置(身分)が違うのは分かっていた。聞こえてくる噂、聞き流しておけば良かったのだ。なのに出会ってしまった。逢えない苦しさと噂がいつ立つかもしれない事への危惧の二重苦に見舞われている。川の流れを止められないのと同様、分かっていても止められない。恋心はままならない。

    • 山川 信一 より:

      当時の恋は、いい女がどこそこにいるという噂から始まります。そこで、興味を引かれれば、恋に乗り出します。それがどれほど底知れないものなのかも知らずに。河原の水遊びでは済まなくなります。しかし、自分の力では到底川は越えられないことがわかってきます。しかし、その時には恋心は抑えられません。今度は、自分の噂さえも立ってきます。恋とは厄介なものですね。

  2. まりりん より:

    河原での水遊びでやめられず、深みに嵌ってしまったのですね。そうなることは予感していたはず。でも恋においては、理性など弱いですよね。この作者、女性と関係を持った事を後悔しているけれど、そうならなかったらならないで、矢張り後悔した気がします。いずれにしても、恋をすれば苦しみとは切り離せないのだと思います。

    • 山川 信一 より:

      こんな風に後悔するのも恋のうち。恋をしなければ味わうことができない思いです。後悔するようなことはしない方がいいのでしょうか?そう決めつけることはできるのでしょうか。恋をしたからこその後悔、それもいいじゃないか。そんな風にも思えてきます。

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