《失恋を偲ぶ》 古今集 巻十五:恋五

五条のきさいの宮のにしのたいにすみける人にほいにはあらてものいひわたりけるを、む月のとをかあまりになむほかへかくれにける、あり所はききけれとえ物もいはて、又のとしのはるむめの花さかりに月のおもしろかりける夜、こそをこひてかのにしのたいにいきて月のかたふくまてあはらなるいたしきにふせりてよめる 在原業平朝臣

つきやあらぬはるやむかしのはるならぬわかみひとつはもとのみにして (747)

月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つは元の身にして

「五条の后の宮の西の対に住んでいた人に我知らずいつのまにか懇ろになっていたが、一月十日余りに他へ隠れてしまった。居所は聞いたけれどものも言わず、次の年の春、梅の花の盛りに月が趣深かった夜、去年を恋しく思いあの西に対に行って月が傾くまで荒れ果てた板敷きに伏せって詠んだ 在原業平
月は無いのか。春は昔の春でないのか。我が身一つは元の身であって。」

「月やあらぬ」の「や」は、係助詞で反語を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「春や」のや」は、係助詞で反語を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(春)ならぬ」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
月は無いのか。いやある。これ程趣深い。春は昔ながらの春ではないのか。いや昔通りの春だ。梅の花が見事に咲いているではないか。けれども、私の身一つは元の身であっても、あなたがいない。そのために、風景がすべてが違って見えてしまうのだ。
作者は、去年の幸せだった恋を思い出し、終わってしまった悲しみに浸っている。
この歌は、全体が緊密に関連している。つまり、「月やあらぬ春や昔の春ならぬ」の疑問の意味が「元の身にして」の言い止しによって明らかになる。この疑問の答えは、事実としては「変わらない」である。しかも、作者の身も元のままで変わらない。しかし、変わってしまったものがある。それは、恋人がもういないという事実と作者の心である。それが風景を違って見せている。この疑問は、変わってしまったことへの嘆きなのである。
終わった恋の悲しみに浸ることも恋の味わいである。この歌は、こうした心情を巧みな歌の構成によって表している。編集者はこの表現を評価したのだろう。ちなみに、この歌は、『伊勢物語』第四段にある。男と二条の后との身分違いの恋の話である。

コメント

  1. すいわ より:

    詠み手は自問自答する訳ですね。月は“無い”のか、春は“元のままではない”のか、答えは「No:何れもそのままに“有る”」なのに何が変わったのか?自分自身は?これも変わらない。私一人については何ら変わらない。だとしたら違うのは?そう、対でいるはずの貴女が足りないのだ。私という世界のひとかけらである貴女を失う事でこんなにも景色が変わって見える。自分にとっての一部が実は“全て”であったのだ、私にとって貴女が全てだったのだ、と。
    長い詞書の内容をたった一首に凝縮して表現する。なるほど歌は世界一小さな、世界一濃厚なドラマですね。

    • 山川 信一 より:

      作者は変わらないものを列挙して、変わってしまったものを暗示します。そして、女の存在感を描き出します。何という表現力でしょう。さすがに業平です。歌に艶があります。貫之はそれに憧れて『伊勢物語』を書いたのでしょうか。歌はそれ自体すでに物語ですが、詞書が歌を一層物語にします。歌物語の萌芽がここにもあります。

  2. すいわ より:

    伊勢物語第四段、戻ってみたらコメントしておりませんでした。初めてコメントしたのが2019年5月4日。連休で時間があって頭から読み始めての初投稿、はしゃいでいました。あら、でも、他の人、書き込まない?どうしようかしら、、と様子見してた頃です。懐かしい。せっかく手に入れた学びのきっかけを手放し難くその後はなりふり構わず書き込ませて頂いて今に至っております。少しは成長していると良いのですが。

    • 山川 信一 より:

      私も読み返してみたら、第四段と第五段のコメントがありませんでした。すいわさんでも様子見だったのですね。(笑)しかし、それ以来コメントが絶えたことはありません。有り難く思っています。教師を育てるのはまさに生徒です。そして、その好影響が生徒に帰って来ます。(多くの生徒も教師も、この道理をわかっていません。だから、低レベルの授業に甘んじています。)すいわさんのコメントに励まされてここまでやって来られました。こころから感謝しています。

  3. まりりん より:

    ここからは、暫く失恋の歌が続くのですね。
    業平のこの歌、詞書が長いです。それによって背景が分かり、物語に厚みが出ますね。
    変わらない物を並べて、変わってしまった物を浮き上がらせる、、何と粋な技法でしょう!

    • 山川 信一 より:

      確かに失恋は失恋ですが、それはこれまでと変わりません。と言うより、ここからは、恋の相手に贈るのではなく、独白、つまり、自分の嘆きを歌った歌が続くのでしょう。歌は相手に贈るのが基本ですが、今の辛さを歌にして自らそれに浸る歌もあります。

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