《つらい気づき》

おやのまもりける人のむすめにいとしのひにあひてものらいひけるあひたに、おやのよふといひけれはいそきかへるとて、もをなむぬきおきていりにける、そののち、もをかへすとてよめる おきかせ

あふまてのかたみとてこそととめけめなみたにうかふもくつなりけり (745)

逢ふまでの形見とてこそ留めけめ涙に浮ぶ藻屑なりけり

「親が大事にしていた他人の娘にとてもこっそり逢って情を交わしている間に、親が呼ぶと侍女が言ったので、娘は急ぎ戻る際に脱いでいた裳を付けずに留め置いて別の部屋に入ってしまった。娘は帰ってこなかったので、男はその裳を持ち帰った。その後、裳を返すと言って詠んだ  興風
 逢うまでの形見として留めたのだろうが、涙に浮かぶ藻屑であったなあ。」

「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「けめ」は、過去推量の助動詞の已然形。「(藻屑)なりけり」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
あなたはこの裳をまた逢うまでの形見として残して、親の元にお戻りになったのでしょう。しかし、私は、これを見る度にあなたに逢えない悲しみで涙が出てなりません。この裳は、到底あなたの代わりにはなり得ません。それは裳ではなく、何と、悲しみの涙の海に浮かぶ藻屑だったのです。
箱入り娘を相手にした内密の情事である。しかし、それが遂に親に知られて、その後は一層逢いにくくなってしまった。そこで、作者は、形見の「裳」が「藻」だったと嘆いてみせる。
この歌は詞書とセットで一つの物語になっている。歌の物語性が発揮されている。「こそ・・・けめ」が利いている。「けめ」によって、作者の気持ちを表す。逆接によって、以下の嘆きに結びつける。また、「裳」に「藻」を掛けたところに作者の機転が表れている。読み手にこの後この恋はどうかるのかと思わせるに十分である。編集者はこうした点を評価したのだろう。

 

コメント

  1. すいわ より:

    詞書がある事で容易に物語が立ち上がってきますね。預けられた先の息子と恋仲になった娘。預かった側の詠み手の親は面子が立たない。事態がより深刻になる前に娘を急ぎ実家へと返したのでしょうか。
    互いに気持ちが通じ合っていたのに別れの言葉を交わす暇もなく離れ離れに。傍に残された彼女の身に付けていた裳、抱きしめても温もりはなく、ただただ涙が溢れるばかり。そうか、この裳は溢れる涙に虚しく浮かぶ藻だったのだ、と。形見がある事で悲しみが増幅します。

    • 山川 信一 より:

      いろいろな事情に於ける恋があるものですね。中には、行儀見習いか何かで預けられて親が大切にしていた娘に息子が恋をしてしまうこともありますね。親も子も困ったことになります。いろんな恋があるものです。この場合、形見はかえって、逢えない悲しみを募るだけの空しいものになります。

  2. まりりん より:

    大切な形見であるはずの裳が、藻屑のように儚いものだったと。。また逢える見込みは無いのでしょうか。藻に、悲しみと虚しさを感じます。

    • 山川 信一 より:

      逢える見込みが低いのでしょう。だから、形見は「(藻)屑」なのでしょう。「屑」ですから、役に立ちません。

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