《女の激情》

題しらす よみ人しらす

まてといははねてもゆかなむしひてゆくこまのあしをれまへのたなはし (739)

待てと言はば寝ても行かなむ強ひて行く駒の脚折れ前の棚橋

「題知らず 詠み人知らず
待てと言ったら、寝ても行って欲しい。無理に行く馬の脚を折れ、前の棚橋。」

「(言は)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(寝て)も」は、格助詞で和らげを表す。「(行か)なむ」は、終助詞で願望を表す。
私があなたに帰るのを待ってと言ったら、せめて寝でもしてから帰って行って欲しい。それでも、あなたが押し切って帰って行くのなら、あなたの馬の脚が折れてしまえばいい。前の棚橋を踏み外し躓いて、あなたが帰れなくなるように。
男を帰したくない女の気持ちを詠んでいる。
前の歌の続きとして読める。久しぶりに男が訪ねて来てくれた。しかし、それは道を間違えたためで、直ぐに帰ると言う。女は男を帰したくない。もうこうなると、体裁を取り繕う余裕など無い。この歌は、女の溢れるほどの激情をそのまま表している。そのために表現が省略・凝縮されている。女は三十一音に何とか思いの丈を詰め込んだのだ。表現が内容にふさわしいものになっている。編集者はそれを評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    たった三十一文字でドラマの一話分を見たような気持ちになります。
    待ちに待ったあの人が目の前に。一体、いつ以来のことだろう。なのに貴方は
    「ちょっと道を誤ってね、でも君の顔が見られて良かったよ。安心した。それでは先を急ぐのでこれで失礼するね」
    とすぐに私の元を離れようとする。
    「待って、、」
    私の声に貴方は振り向かない。
    一夜を共にはしてくれない。私をおいて帰るというのね。いっそ棚橋に臆して貴方の馬が渡れずにしまえばいいのに、、。
    棚橋、立派な橋ではありませんね。男の庇護から外れて貧しくなっている生活ぶりが伺われるようで哀れ。よせば良いのに止められないのが恋なのですね。直接男をどうにかするのでなく馬に八つ当たりする辺りがもう、、惚れた者負けです。

    • 山川 信一 より:

      棚橋は、欄無く無くただ板を渡しただけの粗末な橋。その傍に住むことから、女の暮らしぶりが伺えますね。きっと、何かあったのでしょう。当時の男は女の経済力に頼っていたので、魅力は減じてしまいました。金の切れ目が縁の切れ目とは。それでも、諦めきれない女の情念が籠もっています。男は女の怖さを知るでしょう。せめてそれくらいは知らせないと。

  2. まりりん より:

    駒の脚折れ とは、激しいですね。取り乱して冷静さを失っているようです。止めるのも聞かずさっさと帰ってしまう人に、こんな事でも言って気持ちをぶつけなくては収まらなかったのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      時に、男には女の情念を思い知らせる必要があります。歌はそのための有効な手段です。駆け引きばかりではなく、生々しい思いも伝えます。

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