人をしのひにあひしりてあひかたくありけれは、その家のあたりをまかりありきけるをりに、かりのなくをききてよみてつかはしける 大伴くろぬし
おもひいててこひしきときははつかりのなきてわたるとひとしるらめや (735)
思ひ出でて恋しき時は初雁のなきて渡ると人知るらめや
「人を忍んで交際して逢い難くあったので、その家の辺りを歩き回った時に、雁が鳴いているのを聞いて詠んで贈った 大友黒主
思い出して恋しい時は初雁が鳴きながら移動するように、家の前を泣いて通り過ぎるとあなたは知っているだろうか。」
「初雁の」は、「なきて」の枕詞。「なきて」は、「鳴きて」と「泣きて」の掛詞。「(知る)らめや」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。「や」は、終助詞で疑問・反語を表す。
あなたと親しくお付き合いしていたのに、忍ぶ恋なので心ならずもお逢いするのが難しくなり、時間が経ちましたね。それでも、私はあなたのことを忘れたりはしません。思い出して恋しくてならない時は、あなたの家の辺りを歩き回っているのですよ。ほら、あなたにも初雁が鳴き渡る声が聞こえるでしょう。あの初雁のように私も泣きながら通り過ぎているのです。あなたは、それをご存じでしょうか。ご存じないでしょうね。
作者は、その可能性を疑いつつも、終わった恋を再び始めようとしている。
前の歌とは「恋しき」繋がりである。一度終わった恋でも恋しさから復活を願うことがある。この歌は、自分の行動を初雁になぞらえて、その思いをイメージ化している。今置かれている状況を生かしているのである。同じ「恋しき」を使っても、その場面にふさわしい歌い方がある。編集者はそれを示したのだろう。
コメント
伊勢物語六十五段を思い出しました。もとより障害のあった恋、心が離れての別れではなかった。ならば何かのきっかけさえあれば再びの恋の始まりに期待してしまう。
雁を見ているのは男。自らの姿を重ねる。雁は留まることのない鳥。思いが募ってあなたの側まで来ては涙するものの、帰るより他ない。そんな私の姿を貴女は知らないでしょうね? こんな歌をもらったら、女は空を行く雁の声が聞こえたら縁まで出て眺めようとするかもしれない。その姿を男は見るかもしれない。声を頼りに同じ雁を見ている。2人の視線は再び交わるか、、
『伊勢物語』も歌の持つ物語性から生まれたことが納得できますね。障害は克服することは難しそうですが、二人の心に恋は再開しそうですね。
悲しげに鳴き声をあげて飛んでいる雁は私自身。貴女はそれに気付いて下さるでしょうか? 鳴き声を聞いて貴女が出てきて下さったら、もう一度チャンスがうまれるでしょうか。。
どんな物でもいいから、縋りたいと思うのも恋ですね。こう詠めば、女はきっと雁を眺めてくれるでしょう。その可能性に賭けます。