題しらす 伊勢
わたつみとあれにしとこをいまさらにはらははそてやあわとうきなむ (733)
海神と荒れにし床を今更に掃はば袖や泡と浮きなむ
「題知らず 伊勢
海と荒れてしまった寝床を今更塵を払ったら、袖が泡と浮いてしまうだろうか。」
「(荒れ)にし」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(掃は)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(袖)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(浮き)なむ」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形。「海神」と「泡」は縁語。
あなたに忘れられた悲しみで流す涙が溜まりに溜まり、私の寝床は大海になって荒れ果ててしまいました。ですから、もし今になって共寝のために袖で塵を払ったら、私の袖は泡となって浮いてしまうでしょうか。きっとそうなるでしょうね。
作者は、一度捨てられた男に再び口説かれたのだろう。嬉しくないこともないけれど、そうやすやすと受け入れるのも癪に障る。そこで、誇張表現で皮肉っている。この後どうなるかは、相手次第である。
前の歌の返歌とも読める。別れた男から再び口説かれる。もちろん、嫌なら応えなければいい。しかし、受け入れてもいいと思った時にはどうするか。たとえば、こんな答え方があると言うのだろう。一般的に、誇張表現は徹底して使うべきである。中途半端だと嘘くさくなる。あるいは、嘘そのものになってしまう。だから、初めから嘘だとわかるようにして真実を伝えるのである。その点、この歌は、誇張表現が男の身勝手さに一言言わずにいられない女の気持ちをよく表している。編集者はこの点を評価したのだろう。
コメント
私を打ち捨てておいて今更またいらっしゃると?あなたが去って私がどれ程辛い思いをした事か。使うことなくすっかり荒れてしまった褥を整えようとしたら、流した涙で袖が泡のようにぷかぷかと浮いてしまうのじゃないかしら?
女:また通ってくれると思うと嬉しい。でも待って?簡単に受け入れたら、それこそ「簡単な女」だと思われかねない。これくらいの嫌味は言ってやらないと。
男:他の男が通っているのかと思ったら、私と別れて泣き暮らしていたのか。それなのにちゃんと私を迎える用意をしてくれるのだなぁ。すまない事をしたものだ。
嫌味を言いながら受け入れの意思を伝え、可愛いと思わせる匙加減。この女には敵いませんね。
相手の男がひとときの別れなど内海の出来事に過ぎないと言ってきたので、作者は大海の出来事だと言い返したのですね。それでいて、受け入れる気持ちも伝えています。伊勢は、なかなかしたたかな女ですね。
復縁を迫られても、理屈を言ってすぐに受け入れない。でも、嫌そうではありませんね。この先、散々焦らした挙句に受け入れる歌が続くのでしょうか。。
まさに恋は駆け引きですね。ああ言えばこう言う、そのやり取りこそが恋の醍醐味なのでしょう。さて、相手はどう反応するでしょうか?