《恋の苦しみ》

題しらす ふかやふ

こひしとはたかなつけけむことならむしぬとそたたにいふへかりける (698)

恋しとは誰が名付けけむ言ならむ死ぬとぞただに言ふべかりける

「題知らず 深養父
恋しいとは誰が名付けた言葉なのだろう。死ぬと直接言うべきであったなあ。」

「(名付け)けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の連体形。「(言)ならむ」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形。「(死ぬ)とぞ」「(言ふ)べかりける」の「べかり」は、推量の助動詞「べし」の連用形。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
「逢ひ見ての後の心に比ぶれば昔はものを思はざりけり」という歌がありますが、契りを結ぶ前と後とでは、それ以前のことが「昔」に思えるほどの隔たりがあります。「恋し」という思いが比べものになりません。契りを結ぶ前の「恋し」とは雲泥の差があります。それなのに、これを同じ言葉で表したのは一体誰なのでしょうか。私は恋しさのあまり死んでしまいそうです。「恋し」などという遠回しの言い方では、表しきれるものではありません。「死ぬ」とはっきり言うべきなのです。
作者は、契りを結んだ相手に再び逢うことが出来ないでいるのだろう。そこで、今の苦しみを「死ぬ」に等しいと言うことによって相手の心を動かし、また逢ってもらおうとしている。
人は恋の苦しさに「死」を思い、それを口にすることがある。これはかなり一般的な心理ではある。だから、それをどう表現するかに工夫が要る。この歌は、言葉の問題に置き換えて説明している。「死ぬ」は重い言葉なので、自らの心情を客観視することで、相手の負担を軽くしている。つまり、押しつけがましくないようにしている。女に泣き落としは通用しにくいことを知っているのだろう。また、この歌は、過去推量の「けむ」と現在それに気づいたことを表す「ける」の対照が効果的である。編集者は、内容を過不足無く表している点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど「思う」ことはいつでもできるけれど「恋しい」は相手を知らなければ出来ない感情ですね。相手を知って初めて生まれる感情に付いた名。それがどんなものか説明するなら正に「死」を思わせる苦しさなのだ、と。
    「恋い死」なのだ。あなたにこの苦しさを分かってもらうには「こいし」なんて言っていたら死んでしまう、一刻の猶予も無い(だからどうか会って欲しい)。
    たこつぼ型心筋症、ストレスによって起こる、時には死に至る病があるそうです。「恋い死」、侮れません。

    • 山川 信一 より:

      失恋をはかなんで死ぬ人もいますからね。片思いなら、どんなにつらくても死ぬことは滅多にないでしょう。『伊勢物語』には、そんな娘が出てきましたが、それでも「逢ひ見ての後の心」に比べれば、たかが知れています。逢ってからの恋しさは死ぬ程つらいのです。

  2. まりりん より:

    確かに片思いの段階では 「死ぬ程好き」 にはならないですね。相手に負担をかけずに「死ぬ程好き」を伝えていて、スマートだと思います。
    別れ話を切り出された人の死ぬ騒ぎ、たまに耳にしますが、相手は余計に興醒めするでしょうね。このような歌でも贈ったら、今一度振り返るくらいはして貰えるかも。まあ、ここでは別れは差し迫ってはいないと思いますが。。

    • 山川 信一 より:

      失恋すると、生きていても意味が無いと思うのが人の常のようです。しかし、それを言うことで相手の気持ちは変わりません。まさに「相手は余計に興醒めする」ことになります。もし仮にそれで相手の態度が変わっても、それは愛じゃありません。この歌は、そこまで追い詰められてはいないようですね。

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