《悟りの境地》

題しらす よみ人しらす

あふことはたまのをはかりなのたつはよしののかはのたきつせのこと (673)

逢ふ事は玉の緒ばかり名の立つは吉野の河の滾つ瀬のごと

「題知らず 詠み人知らず
逢うことはほんの少し。噂が立つことは吉野の河の早瀬のようだ。」

「玉の緒ばかり」の「玉の緒」は、玉を貫く紐のことで短いことをたとえている。「ばかり」は、副助詞で程度を表す。ここで切れる。「(滾つ瀬の)ごと」は、比況の助動詞「ごとし」の語幹。
あなたにお逢いできる真珠のように貴重な時間はほんのちょっぴりです。それなのに、噂が立つのは吉野の流れが速く瀬音が盛んな河のように、素早く喧しいことです。これが世の中なのですね。理屈通りにいきません。
作者は、「玉の緒」と「吉野の河の滾つ瀬」の対照的な二つのたとえによって、それぞれの特徴を際立てている。その上で、これが現実であると諦め、あるいは、悟りの境地を表し、相手の共感を求めている。
編集者は池から河へと関連づけた。この歌は歌の中に「・・・は・・・」という文を二つ組み込んでいる。しかも、それは対照的で的確なたとえになっている。編集者はこの簡潔に凝縮された効果的な表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    あなたとの素敵な時間はあっという間に過ぎてしまう。短く感じられる。これを玉の緒に喩えるのですね。短いのに長い時間をかけて美しい連なり(関係)を築いてゆく。逢瀬の一回一回がとても貴重。その玉を緒に通してほんのささやかなカチリという音しか立てていないというのに、噂ときたらどうだろう、まるで吉野川の如しだ。あんなに長い吉野川を轟々と音立てて一瞬で駆け巡ってしまう。短いけれど長い。長いけれど短い。さりげなく聴覚の対照までされていて上手いですね。詠み手の溜息が聞こえてきそう。

    • 山川 信一 より:

      すいわさんの鑑賞で「玉の緒」と「吉野川の早瀬」の対照がよくわかりました。聴覚の対照の分析が素晴らしいです。

  2. まりりん より:

    逢うのは何時も、ほんの短い時間。その僅かな時間は玉のように貴重なものです。一方で、噂が伝わるのは吉野の川のように早く、海に向かって水の量が増えるにつれ、噂にもいつの間にか尾鰭が付いて…

    すいわさんの鑑賞、いつもながら素敵です。
    二者の対照が本当に良くわかりますね!

    • 山川 信一 より:

      まりりんさんの鑑賞も素敵です。でも、「海に向かって水の量が増えるにつれ」るように「噂にもいつの間にか尾鰭が付いて…」ですね。

    • すいわ より:

      まりりんさん、ありがとうございます!川なので「駆け抜ける」なのかもしれないけれど、人の噂も七十五日、あっさりとは抜けてくれなさそうなので周りに広がるイメージで「駆け巡る」にしました。海に向かっての着想がありませんでした。
      私も、まりりんさんの水量が増え「尾鰭が付く」になるほど!と思いました。

      • 山川 信一 より:

        私は、指導者ではなく指揮者になりたいと思っています。すいわさんのコメントはそれに勇気を与えてくれます。

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