《恋のジレンマ》

題しらす をののはるかせ

はなすすきほにいててこひはなををしみしたゆふひものむすほほれつつ (653)

花芒穂に出でて恋ひば名を惜しみ下結ふ紐の結ぼほれつつ

「題知らず 小野春風
表に表して恋するなら立つ評判が落ちるのが惜しくて、気がふさいでいることだなあ。」

「花芒」は、「穂」の枕詞。「(恋ひ)ば」は、接続助詞で仮定を表す。以下に「立たむ」などが省略されている。「(名)を(惜し)み」は、「・・・が・・・ので」、あるいは、「・・・が・・・の状態で」の意をを表す。「下結ふ紐の」は、「結ぼ(結ぶ)」の序詞。「結ぼほれ」は、「自然に結んだ状態になる」の意でここでは「気がふさぐ」の意を表す。「つつ」は、接続助詞。いわゆる和歌の「つつ止め」で詠嘆を込めて「・・・していることだなあ」の意を表す。
芒に穂が出るように恋することが表に現れるなら、二人に悪しき評判が立つでしょう。それを思うと、評判が落ちるのが惜しくて、下紐を自然に結んでしまいます。つまり、恋を控えてしまいます。しかし、そうなると、気が滅入るばかりです。
評判が落ちるのが惜しいなら、恋を止めればいい。しかし、そうも行かない。作者は、引くに引けない今の状態を訴えている。しかし、問題の解決など最初から望んでいない。これも恋のうちである。二人でこのジレンマに浸ろうと言うのだ。
この歌も恋の露見を恐れる内容である。恋はしたい。しかも、恋故に許されない恋も多い。むしろ、許されないからこそ恋はますます恋らしくなる。だから、そういう恋を求めてしまう。しかし、それが露見すれば、悪い評判が立つ。それがこの先どんな悪影響を及ぼすかわからない。恋はこうした危うさの中になり立っている。しかし、だからこそ魅力がある。恋とは、それを本気で楽しむ遊びである。
季節は秋だったのだろう。枕詞によって巧みに季節感を表している。また、序詞を意味深長に用いている。その上で恋の本質の一つを捉えている。編集者はこうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    噂を恐れて恋する事に二の足を踏んでしまう、でもそうなると何か心が塞いで、さぁ、どうしたものか、、
    風(噂)に晒され揺れる花芒(恋心)、見えない心を可視化するとこんなにも分かりやすい。でも、この気持ちを分かって欲しいのは世間ではなくあなただけなのだ。だから敢えて気持ちを隠して平静を装うと苦しくてならない。板挟みの微妙な心理を伝えたいのだろうけれど、もし、この歌を受け取ったら、、「なををしみ」が真ん中なせいか、秋の暮れていくイメージも相まって上手な断りの歌のように思えてしまいます。

    • 山川 信一 より:

      この場合の「なををしみ」は、二人の「名」を意味していて、だから堂々と言えるのでしょう。知れると困ることになるのは、どちらも同じ。そこで共感を求めているのでしょう。

  2. まりりん より:

    露見したら評判が落ちるということは、これも不倫なのでしょうね。
    バレたら困ると、気が塞ぐと言いながら恋を止めることは出来ない。そのスリルがまた楽しい、と言うことのように思えます。(口と腹とは違う?)

    • 山川 信一 より:

      「スリル」もあるでしょうが、「サスペンス」の宙ぶらりんさが強いかもしれません。

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