題しらす よみ人しらす
きみかなもわかなもたてしなにはなるみつともいふなあひきともいはし (649)
君が名も我が名も立てじ難波なるみつとも言ふなあひきとも言はじ
「題知らず 詠み人知らず
「君の噂も私の噂も立てまい。見たとも言うな。逢ったとも言うまい。」
「(立て)じ」は、打消意志の助動詞「じ」の終止形。「難波なる」は、「御津」に掛かる枕詞。「みつ」は、「御津」と「見つ」の掛詞。「(見)つ」は、意志的完了の助動詞の終止形。「(言ふ)な」は、終助詞で禁止を表す。「あひき」は、「網引き」と「逢ひき」の掛詞。「網引き」は、「難波なる」の縁語。「(逢ひ)き」は、過去の助動詞「き」の終止形。「(言は)じ」は、打消意志の助動詞「じ」の終止形。
私たちがお付き合いしている噂は決して立てません。これは私たち二人のだけの秘密なのです。ですから、あなたも私を見たと決して言わないでください。私もあなたに逢ったとは絶対に言いませんから。
恋は秘め事であることが望ましい。「好事魔多し」と言う。人に知られたら、どんな横やりが入るかわからないからだ。まずは自分たちがそれを口にしないことが肝要である。そこで、恋人に戒め、自分の決意を述べている。これは、自分がいかにこの恋を大切にしているかを伝えるためである。そして、相手との逢瀬がいかに素晴らしかったかを伝えてもいるのである。
この歌は、打消意志の助動詞「じ」を二度使い、命令形も使っている極めて強い調子の歌である。それは、作者の自分たちが於かれている状況に対する心配を述べるためである。しかも、実は自分がいかにこの逢瀬に満足しているかを伝えてもいるのである。それを失いたくないと。その前提がなければここまでの心配は要らない。つまり、本当に言いたいことは隠されている。編集者は、この周到さを評価したのだろう。
コメント
二人で過ごした素晴らしい時間を二人だけのものにしておきたいのですね。誰の干渉も受けたくない。噂にされて横槍を入れられる隙など作りたくない。この秘密を私は決して誰にも明かさないよ、君も私を見たと言ってはならないよ。(外へ聞こえて君を取られるのではないかと不安になる程、私は君に夢中になったのです)
敢えて噂を流して外堀を埋めて、、と言う歌もありましたが、この歌は自分たちで(二人だけで)厳重に自分達を守ることで他者の介入を一切断つと言う強い意志の表明が相手への賛美になっているのですね。
恋心の伝え方には、様々な形が有ることを思わせる歌ですね。この歌は、何を言って何を言わないかのモデルでもありますね。
打ち消しや否定を多用していることによって、他を寄せ付けない意志の強さを感じます。二人だけの世界は幸せだけれど、でもそれでは生きていけないことも分かっているのか、不安や儚さも見え隠れしているように思います。
表現は相手に思い伝えるために為されます。打消と禁止(「打ち消しや否定を多用」ではなく)を用いているのも、それによって伝えたいことがあるからです。それがそのまま作者の自然な感情(たとえば「不安や儚さ」とは限りません。この歌の表現は、むしろこの恋への強い決意ではないでしょうか。