《共に夢を見る》

人にあひてあしたによみてつかはしける なりひらの朝臣

ねぬるよのゆめをはかなみまとろめはいやはかなにもなりまさるかな (644)

寝ぬる夜の夢を儚み微睡めばいやはかなにも成り勝るかな

「人に逢って朝に詠んでやった 業平の朝臣
あなたと寝た夜の夢が儚いので微睡むと、一層儚くなることだなあ。」

「(寝)ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形。「(夢)を(儚)み」は、「~が~ので」と原因理由を表す。あるいは、「~を~という状態にして」の意を表す。「(微睡め)ば」は、偶然的条件を表す。「(勝る)かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
あなたと一緒に寝ることになった夜の夢があまりに頼りないまま、あっさり朝になってしまったので、もう一度はっきり見たいと思ってまどろんだら、ますます夢がぼんやりとして空しい気持ちになってきたことですよ。もう一度お逢いしたいです。
作者は、この逢瀬に心が満たされず、もう一度逢いたいという気持ちを伝えている。それを言うのに、共寝を共に夢を見ることであるとしている。露骨に共寝がしたいと言はず、女の抵抗を和らげようとしたのだろう。
男は暗いうちに帰って来るので、また寝直す。この歌は、その事情を踏まえて詠んでいる。前の歌から少し時間が経っている場面を扱っている。編集者は、共寝を共に夢を見ることだと捉えた点を評価したのだろう。なお、この歌は、『伊勢物語』の第一〇三段に載っている。相手は親王が召し使っている女で、タブー破りに近い状況設定になっている。また、語り手はこの歌を「さる歌のきたなげさ」と酷評している。夢を挟んでも共寝そのものを題材にしたからだろうか。

コメント

  1. すいわ より:

    合わせ鏡のような歌ですね。逢瀬を果たし、寝直しの夢に彼女が現れる。その夢から覚めて微睡の中、昨夜の逢瀬と今見た夢の間を逍遥する。夢から出られない。だからまた是非、現で会ってくださいね、、。
    でも、夢に彼女が現れたのなら彼女もまた私と同じ夢を見たかもしれない。共寝の捉え方が斬新。でもなぁ、、こんなにあけすけに歌って大丈夫なのは君くらいなものなんだよなぁ、、と貫之のため息が聞こえてきそう。そこで伊勢物語第百三段では、これをやると一般人は大失敗するよと例示したのかも。

    • 山川 信一 より:

      「合わせ鏡のような歌」は、いい捉え方ですね。結局自分はどこにいるのかわからなくなります。そんな思いに託してもう一度逢いたい気持ちを伝えます。業平はさすが恋の達人です。
      貫之は『古今和歌集』で歌のお手本を目指していたので、少し抵抗を感じて、『伊勢物語』のコメントはその思いの表れかもしれません。

  2. まりりん より:

    逢瀬が終わり帰ってからも、貴女と共寝。今度は同じ夢を見ると。離れてからもずっと貴女を思っている…
    なるほど、確かに斬新な共寝の捉え方ですね。
    この歌を贈られた女性は嬉しいですね。逢瀬の後の楽しみが出来ましたね。

    • 山川 信一 より:

      共寝とは、性の営みではなく、共に夢を見ることと捉えるのは優雅ですね。それで同じ夢が見られれば、最高です。仮に全く同じでなくても、いい夢には違いがありません。

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