《逢えない嘆き》

題しらす とものり

いのちやはなにそはつゆのあたものをあふにしかへはをしからなくに (615)

命やは何ぞは露の徒物を逢ふにし替へば惜しからなくに

「題知らず 友則
命とは何なのか。露のようにはかない物よ。逢うことに替えるのなら惜しくもないことだなあ。」

「(命)やは」の「や」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「は」も係助詞で「や」を強めている。「(何)ぞは」の「ぞ」は、終助詞で疑問を表す。ここで切れる。「は」は副助詞で「ぞ」を強めている。「(もの)を」は、間投助詞で詠嘆を表す。ここで切れる。「(逢ふ)にし」の「に」は、格助詞。「し」は副助詞で強意を表す。「(替へ)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「なくに」は、連語で打消を伴う詠嘆を表す。
命なんて何なのか。露みたいに儚い物じゃないか。命と引き換えに愛しい人に逢うことができたら惜しくなんて無いことだよ。
相手に直接願いを言うのではなく、独白の形でひたすら嘆いてみせている。命を出すととかく重い印象を与えるが、それを「露の徒物」と言うことで巧みにそれを避けている。
「恋二」の最後を飾る歌である。発想は『古今和歌集』の歌としては、やや大人しい気がする。しかし、表現は工夫されている。「何ぞ」と「(徒もの)を」で切れを二度入れ、「やは・・・ぞは」「(徒物)を」「なくに」と三度嘆いてみせる。また、「露」のたとえによって、この歌を受け取る相手への心理にも配慮している。編集者がこの歌を「恋二」の最後に選んだのは、この表現力によるものであって、年長者の友則に花を持たせるためではなさそうだ。

コメント

  1. まりりん より:

    この時、作者には特定の想う人がいたのでしょうか。あるいは、一般論として、つぶやいたのでしょうか。
    いずれにしても、多くの人が同意できる。「恋二」の〆らしい歌と思いました。

    • 山川 信一 より:

      名歌とは、特定の思う人への歌でもあり、同時に普遍性も持つ。所謂「あるある」に留まってもいけないし、かと言って、独りよがりでもいけない。その辺りの匙加減を心得た歌ですね。

  2. すいわ より:

    まず命とは何か問う。普遍的にそれはかけがえのない尊いもの。がしかし、露のように儚いもの。今日あるものが明日消え去ることもある。ならばこの熱い気持ちを遂げるため、そのひと時の為に、この命をかける。何を躊躇う事があろうか。この命、惜しくもない。一瞬の為に一生を捧げる。
    友則にしてはいつになく情熱的、感情的な印象の歌。「命」を持ち出してはきているけれど独白の形が相手を責める事がなく、いつも通りの友則らしい思いやりを持たせつつ、恋の情熱も伝わる。なるほど締めの歌に相応しいですね。

    • 山川 信一 より:

      作者の歌の傾向を踏まえながら詠むとまた違った味わいがありますね。この歌は、友則らしからぬように見えてやはり友則らしい。納得の締めの歌です。

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