寛平御時きさいの宮の歌合のうた 紀とものり
わかやとのきくのかきねにおくしものきえかへりてそこひしかりける (564)
我が宿の菊の垣根に置く霜の消えかへりてぞ恋しかりける
「寛平御時の后の宮の歌合の歌 紀友則
我が宿の菊の垣根に置く霜のように心が消え入るほどに恋しいことだなあ。」
「我が宿の菊の垣根に置く霜の」は、「消え」を導く序詞。「(消えかへりて)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(恋しかり)ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
私の庭の菊を巡らした垣根に霜が置いています。しかし、その霜は直ぐに消えてしまいます。その様子はまさに今の私の心そのものです。あなたに逢えないため、心がすっかり滅入って消えてしまうほどに恋しくてならないのです。
冬の風物の菊に置いた霜を巧みに利用している。垣根の菊の色、垣根に置いた霜の色、そして、その霜が消える様が目に浮かぶ。作者の消え入るばかりに滅入った心が見事に可視化されている。
前の歌と同じ題材の「霜」を用いている。ただ、「笹の葉」が「菊の垣根」に変わっている。この菊は白菊であろうか。「心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花」が連想される。「笹の葉」と「霜」は、緑と白が対照的で白が際立ったが、ここでは白同士であるため、白は儚い感じを与えている。そして、その霜の白い色がすーと消えていく様が想像される。この二首により「霜」の用い方のバリエーションが示されている。編集者は、「霜」というおよそ恋とは無縁と思われる題材を恋の歌に用いる巧みさを評価したのだろう。
コメント
恋とは無縁の霜。笹の緑と菊の白が、対照的ですね。前の歌では霜の冷たさが際立ち、この歌では菊に溶け込んで儚く消えていく。。
言葉は使い方ですね。使い方次第で、様々違った情景や印象を与えることができる。歌の世界のみでなく、日頃から意識していなければと改めて思いました。
友則はさすがですね。同じ題材を使って違った情緒を表現します。物事を多面的に捉えたいですね。
朝の寒さ。今は花時も終わった生垣の菊に霜が降りた。まるで秋の日に咲いていた小菊のような白さ。可憐に咲くその姿はあなたそのものでした。そんな思いに耽っていると、霜は朝日に溶けてあっという間に消えてしまった。残るのは冬の寒さ、あなたへの思いは募るばかりです。
菊は咲き終わっていて、霜の白が咲き返したように見せたととらえました。
「霜」という字、「想」を思わせますね。
素敵な鑑賞ですね。情景が目に浮かんできました。今は咲き終わった菊に霜が降りて、菊が咲きかえったような印象を与えるのですね。作者はそれに自分恋を重ねます。なろほど。