《恋心の鼓動》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた 紀とものり

ゆふされはほたるよりけにもゆれともひかりみねはやひとのつれなき (562)

夕されば蛍より異に燃ゆれども光見ねばや人のつれなき

「寛平御時の后の宮の歌合の歌 紀友則
夕方になると蛍よりいっそう燃えるけれども、光が見えないので人が冷たいのか。」

「(夕され)ば」は、接続助詞で恒常的条件を表す。「(燃ゆれ)ども」は、接続助詞で逆接を表す。「見ねばや」の「見」は、上一段動詞の未然形。「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「つれなき」は、形容詞「つれなし」の連体形。
夕方になるといつも、私はあの蛍よりもいよいよ激しく恋の炎が燃えます。けれども、この胸の奥底で燃えるためにその光が見えることはありません。あなたはそれがわからないから私に冷たいのですか。どれほど、あなたを思っているかをお見せできればお見せしたいものです。ご覧の蛍以上に燃えているのですよ。
見えない恋心の有り樣を蛍を使って想像させている。つまり、飽くことがない蛍の点滅が自分の恋心の鼓動に感じられるようにしている。
恋の歌の目的は、相手の心を動かすことである。一方、その効用としては、自らの心を慰めることがある。多くの歌はこの二つの要素を守っている。だから、仮に目的が果たせなくても効用はある。歌を作る意義は失われない。
前の歌とは、夏の虫繋がりである。この歌は、夏の風物である蛍も恋の歌の題材として使えることを示している。恋する者は、蛍を眺めてもその情緒にひたることができない。何を見ても満たされぬ恋の嘆きに繋がってしまうのである。それも、人間の普遍的な姿である。編集者は、それを捉えた点を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    蛍の光は、燃え盛る炎というよりは、慎ましやかに、でも途切れることなくずっと燃えている火、というイメージがあります。作者はきっと、胸の中でずっとずっと思い続けているのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      蛍の光が一層燃えるというイメージは捉えにくいですね。確かに燃えさかる感じではありませんね。もっと強く光ると言うのでしょう。私は点滅を胸の鼓動と捉えました。

  2. すいわ より:

    夕暮れが近付いたので、ほら、蛍の光もあのように見て取れる。恋の刻限が迫ってきて私の心はあの蛍よりいや増しに燃え上がっていると言うのに、あなたはこの胸の火を見ないからそんな冷たい態度を取れるの?日中に蛍を見る人はいない。でも私の心の火が見えなくたって、本当はいつだってこの恋心に火は灯っているのです。どうか私を見てください、、560番の「見えない恋心」より例えが上手いように思えます。

    • 山川 信一 より:

      日中はまだしも「夕されば」この恋心は抑えることができないまでに燃え上がるということなのでしょう。夕方は恋の時間の始まりですからね。夜をどう過ごしていいのやらわからないという思いが伝わってきます。

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