寛平御時きさいの宮の歌合のうた をののよしき
わかこひはみやまかくれのくさなれやしけさまされとしるひとのなき (560)
我が恋は深山隠れの草なれや繁さ勝れど知る人の無き
「寛平御時の后の宮の歌合の歌 小野美材
我が恋は奥山の山陰の草なのか。繁りは勝るけれど知る人はいない。」
「(草)なれや」の「なれ」は、断定の助動詞「なり」の已然形。「や」は、疑問の終助詞。「無き」は、形容詞「無し」の連体形。連体形で終わることによって、余韻を持たせている。
私の恋は奥山の山陰に隠れている草なのか。私の恋心は、恋人からは遠く離れている上、ますます募るけれど、それを表に出すことも決して無い。だから、この心を恋人にわかってもらえない。その術は全く無いのだ。
前の二首は夢を題材にした歌だった。それに対して、この歌は季節を詠み込んでいる。その季節は夏である。恋と夏が歌合のお題だったのだろうか。作者は、募る思いを夏草の繁茂する様子に重ね、可視化している。奥山の山陰では、夏草がいくら繁茂しても人に知られることがない。それを踏まえて、自分の恋心も同様であると嘆いてみせる。これで恋人の同情をかおうとしている。
編集者は、自分の恋心と奥山の山陰の夏草とに共通点を見出した点を評価したのだろう。
コメント
恋人への想いは、人に知られることもなく、相手にも伝わることないけれど、ひたすらに激しく募っていく。作者は若い人でしょうか、、恋人への一途な思いを感じます。
この歌も、前の2首と同じ歌合わせの折に詠まれていますね。
そうですね、作者は若い人かも知れませんね。同感です。「我が恋は」とあるところから、若い人らしい自意識の強さが感じられます。他ならぬ「私の恋は」ですからね。
これからしばらく歌合の歌が続きます。
目立ってはいけない、でも、こんなにもライバルがいるとなると、なかなかに私の心を伝えきれない。夏草が茂るようにこの思いは広がる一方なのに。青いですね。
「ライバル」?作者は何を以てライバルと見たのでしょうか?「夏草」の繁茂でしょうか?
「夏草」がどれも繁茂して行く様子を、「素敵なあなたに誰もが手を伸ばしていて、私も精一杯あなたを勝ち取ろうとしているけれど、姿も見えないほど遠くにいる身ではあなたに気付いてもらえない。この気持ちは誰にも負けないのに」ととらえました。
そうでしたか。しかし、「我が恋は深山隠れの草なれや」とあり、自分がその草そのものであって、草が自分以外をたとえているようには思えません。
そうですね、たとえモテる人であちこちからアプローチがあったとしても、この段階で「負け」ている場合ではありませんね。
そうですね、人のことよりまず自分のことで精一杯のはず。