《間近な恋》

題しらす 読人しらす

ひとしれぬおもひやなそとあしかきのまちかけれともあふよしのなき (506)

人知れぬ思ひやなぞと葦垣の間近けれども逢ふ由の無き

「人知れぬ思いは何なんだと、間近にあるけれど逢う方法がない。」

「葦垣の」は、葦で作る垣根は、その隙間を近くすることから「間近」の枕詞。
私は恋のルールを守って人知れずあなたのことを思っています。しかし、人知れぬ思いなんて何なんだと言いたくもなります。何の役にも立たないじゃないですか。あなたとの間はこんなに近くなのに、逢う方法がありません。何とかしてください。
身近にいるのに、逢えないもどかしさを詠んでいる。確かに、近くにいる人に恋すれば、こうなる。顔を見るだけでは、逢ったことにならないのだから。「思ひやなぞと」は、意味を凝縮した表現。枕詞の「葦垣の」は、「間近」を具体的にイメージさせている。「無き」は、形容詞「無し」の連体形で、詠嘆を表している。その一方で、「葦垣」の「き」と韻を踏んでいる。編集者は、こうした表現の小技を評価している。

コメント

  1. まりりん より:

    すぐ近くにいるのに逢えない苦しさ。二人の距離が近い方が却って苦しみは大きいかもしれません。物理的な距離が離れていれば諦めもつきますのに。

    この一連の恋の巻、お互いの距離が徐々に近くなってきましたね。

    • 山川 信一 より:

      そうですね、段々相手との距離が縮まってきましたね。でも、恋する人との物理的距離が縮まれば縮まっただけかえって恋しさが増すこともありますよね。さて、具体的には、どんな関係を連想しますか?

  2. すいわ より:

    あまりにも当たり前に近くにいて、だからこそ「特別な関係」となると簡単な筈の垣根を越えられない。面映さがよく伝わってきます。『伊勢物語』の「筒井つの」のエピソード、男の心情、こんな感じだったのではと思いました。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、幼馴染みの恋にも当てはまりそうですね。「ある日突然 二人黙るの あんなにおしゃべりしていたけれど」という歌もありましたね。
      他には、どんなケースがあるでしょうね。様々なケースがありそうです。想像を刺激されます。紫式部が物語を書きたくなったのもわかります。

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