《恋の哲学》

題しらす 読人しらす

あはれてふことたになくはなにをかはこひのみたれのつかねをにせむ (502)

あはれてふ言だに無くは何をかは恋の乱れの束をにせむ

「あわれという言葉すら無かったら、何を恋の乱れの結びの紐にしようか。」

「だに」は、我慢できる最小限度を表す。「(無く)は」は、係助詞で仮定を表す。「(何を)かは」の「か」も「は」も係助詞で、合わさって疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(せ)む」は、意志の助動詞「む」の連体形。
私は、「あはれ」という溜息の言葉を口に出すことで、恋によって乱れた心が何とか治まっているのです。もしこの言葉すら無かったら、一体何によって恋の乱れを治めたらいいのでしょうか。とても収まりがつきません。だから、毎日「あはれ」ばかりを口にして、どうやら生きています。
作者は、今の自分が恋に心が乱れに乱れてぎりぎりの心理状態にある、「あはれ」と溜息ばかりついている、そのことで、やっとのこと生きていられるのだと言う。人は、捉えどころのない何物かに、そして、それに伴う心理に言葉を与えることで、受け入れ、耐えることができる。それが「あはれ」という最も素朴な言葉であってさえも。この歌は、こうした言葉の働きを取り上げている。その意味でこの歌は哲学的内容を持っている。恋は人を哲学的にする。そして、その哲学さえも口説きの手段にする。編集者は、ここでも、こうした新たな恋の一面を示している。

コメント

  1. まりりん より:

    心が乱れて、置き所がなくため息ばかりついているのですね。そして、「あはれ」ばかりを繰り返し口にして何とか心の均衡を保っていると。何故それで耐えていけるのかが、今ひとつピンときませんが。確かに哲学的で、、理解が難しいです。「あはれ」と言葉を口にすることなく黙っていたら、狂い死にしてしまうかもしれない?

    • 山川 信一 より:

      言葉があるということは、自分だけのことではない証拠です。それで耐えられるところもあるでしょう。また、人は言葉にすることで、得体の知れない恐怖や不安から救われます。人に話してほっとした事ってありますよね。恋の歌もそれですね。

  2. すいわ より:

    ただただ恋焦がれてその気持ちが身体に充満し「あはれ」の言葉を口から出さない事には膨らみすぎた風船のように破裂してしまう。どうにも心の収拾が付かない。だから私は「あはれ」の言葉を口にするよりほかない。ああ、どうか助けてください、貴女の一言が命の綱なのです、、言葉の花束(歌)をそれこそ束ねる程、送り続けているのでしょう。「言葉の力」、言霊に対する信頼の強さは今の比ではないのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      当時は、言霊への信頼が今よりもずっと強そうですね。しかし、今でも、言葉の働きは変わりません。我々は形のない思いに言葉を与えて救われます。それが感動の「ああ」であたっとしてもです。それが歌であるなら、尚更です。編集者は、そんな歌の力を示そうとしています。

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