《孤立無援の恋》

題しらす 読人しらす

かりこものおもひみたれてわかこふといもしるらめやひとしつけすは (485)

刈り菰の思ひ乱れて我恋ふと妹知るらめや人し告げずは

「思い乱れて私が恋うとあの子は知っているだろうか。人が告げなければ。」

「刈り菰」は、床に敷いてむしろの代わりにするもの。織って作られるむしろより経糸の数が少なく、乱れやすい。そこで「刈り菰の」は、「思い乱れて」に掛かる枕詞になる。「(知る)らめや」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。「や」は、終助詞で反語を表す。ここで切れ、以下は倒置になっている。「(人)し」は、強意の副助詞。「(告げ)ずは」の「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「は」は、係助詞で仮定を表す。
刈り菰を敷いて一人寝ようとするけれど、思い乱れて寝られない。愛しいあの子を恋しく思うからだ。私がこんなに思いに苦しんでいるのをあの子は知っているのだろうか。恐らく知りはすまい。誰かがそれを伝えてくれない限りは。どうか誰か、この思いを伝えてほしい。
これは独白である。恋の相手には歌を贈ることもできない事情がある。思いを告げる手段が全く無い。だから、こうして歌にでもしなければ、今の辛さにとても堪えることができない。そんな孤立無援の恋を詠んだ。

コメント

  1. まりりん より:

    相手に歌を贈ることもできずに悶々としているしかないとは、作者はさぞや苦しいでしょうね。思いを伝えられない事情とは、どんな事情なのか考えてしまいます。身分違いとか、人妻であるとか、平安時代の人たちはそんなことは意に介せずに思いを告げてきたでしょうに。
    あるいは、遠い場所で山籠りでもしているのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      二人の間にどんな事情があったのか、考えさえられますね。ただ、恋人を「妹」と言っているので、既に相思相愛なのでしょう。「人」は、それを許さない者と考えるのが筋でしょう。歌を贈ってもこの人が邪魔をするのです。恋には邪魔者が付きものです。そんな恋の一面を詠んだのでしょう。

  2. すいわ より:

    前の歌に続いて旅の空かと思われる雰囲気。刈り菰で休もうとするも貴女への思いと同様、乱れてしまって眠りにつけない。所詮、仮の寝床、貴女の側でこそ安心できる。独り寝の寂しさ、思うのは貴女ただ一人なのだ、他の誰であっても埋める事はできない。貴女以外の人に決して靡くことなどない。この思い、こんな片田舎では人に託して伝えようもない。「妹」と言うからにはもう連れ添う約束の出来ている相手で、浮気などしないよ、との宣言のようにも思えました。

    • 山川 信一 より:

      この歌は、「妹」と「人」がキーワードのようです。「妹」は既に心が通じている愛しい人、「人」はそれを許さない家族。『伊勢物語』の「男」と「二条の后」を連想します。「男」は、「刈り菰」で寝る身分の者。それに対して「妹」は身分の高い令嬢。「妹」の家族の邪魔さえなければと、嘆いているようです。

      • すいわ より:

        なるほど、『伊勢物語』六段が鮮やかに蘇りました。もう一度読み返してきて納得しました。敢えての「よみ人しらす」なのでしょうね。

        • 山川 信一 より:

          この歌がどんな人のどんな場面で詠まれたのかはわかりません。しかし、だからこそ想像力を刺激します。それが生み出したのが『伊勢物語』でしょう。『古今和歌集』を読んで物語をかきたくなる気持ちがよくわかりますね。紫式部もその一人でしょう。

          • まりりん より:

            紫式部は「古今和歌集」を読んで、「源氏物語」が生まれた?なるほど、そう繋がるのですね!

          • 山川 信一 より:

            『古今和歌集』は、この時代の貴族の教養ですから、読んでいない人はいません。でも、そこから『源氏物語』のような小説を書いた紫式部は偉大です。恐らく他にも作品はあったのでしょう。その中で古典として残ったのが『源氏物語』です。『源氏物語』は、『伊勢物語』に心理描写を加えたものですね。

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