をみなへし とものり
しらつゆをたまにぬくとやささかにのはなにもはにもいとをみなへし (437)
白露を玉に抜くとや細蟹の花にも葉にも糸を皆綜し
「白露を玉として抜くと蜘蛛が花にも葉にも糸を皆掛けたのか。」
「抜くとや」は、「綜し」に掛かる。「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして文末を連体形にする。「綜し」の「綜(へ)」は、下二段活用の動詞「ふ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。
雨上がりの朝、蜘蛛の糸に露が丸く連なっている。それが花にも葉にも掛かっている。これは、蜘蛛が縦糸を花にも葉にも引き延ばしてすべて織り込んだものか。まるで一枚の織物のようだ。
季節はその花の咲く秋。雨上がりの朝だろう。その風景を印象的に捉えた。その様子が目に浮かんでくる。物名は比較的見つけやすいけれど、見事に言い換えている。不自然さが感じられない。物名でなくても、これ自体優れた歌である。
コメント
「をみなえし(女郎花)」ですね。
雨上がりの早朝、日が昇り始めて辺りが明るくなってきた時分、草木に張られた蜘蛛の巣に、水滴がきらきらと光っている。蜘蛛は、自身の糸と、光る白玉と草花とで一晩で織物を仕立てたようだ。普段であれば、朝に見つけた蜘蛛の巣を忌々しく思うけれど、この織物は直ぐに除けてしまうには惜しい。しばらくそのままにして眺めていよう。
そんな作者の思いを感じます。
正解です。情景が目に見えてきます。いい鑑賞ですね。蜘蛛は、細蟹と言うので、蟹の仲間と思われていたのですね。ならば、蜘蛛も蜘蛛の糸も現代とは違う感覚で捉えていたのでしょう。蜘蛛の巣の模様も、平安貴族の感性には芸術的に映ったのかもしれませんね。
女郎花(をみなへし)
露置く秋の野、繊細なレースのベールを蜘蛛はそこかしこの花や草に装わせる。朝日が昇るとそれは玉の如くキラキラと輝きを放つ。秋の野、早朝束の間の美しい風景。
蜘蛛のことを細蟹(ささがに)と言っていたのですね。初めて知りました。
正解です。女郎花も蜘蛛の糸に織り込まれた花の一種だったのでしょう。情景が浮かんできますね。
細蟹ですが、そう思ってみれば、蜘蛛と蟹は似ていなくもありません。蜘蛛を小さな蟹と捉えるのもわかります。
蜘蛛も蟹も足が8本ですものね。自然に対して注がれる眼差しが今の人に比べると格段に繊細で優しい。幸せを掴むものとして蜘蛛も良いものに捉えられていたようです。朝、蜘蛛が下がると待ち人が訪れる、なんて聞いたことがあります。着物の意匠にも普通に取り入れられていますね。蝙蝠とかも。
虫、それも蜘蛛に関する感覚は現代人とは大分違っていたようですね。むしろ、虫嫌いになったのは最近のことです。着物の意匠にもなってくるくらいですから、蜘蛛の巣は好まれていたのでしょう。そう思うと、現代人の感覚の方が変なのかもしれませんね。
蜘蛛のことを細蟹というのですか。確かに蜘蛛は蟹に似てますね。
私、蜘蛛の巣大嫌いなんですが、この歌は素敵ですね。
蜘蛛の巣と白玉の織物は芸術的で美しいなあと思いました。
らんさん、お久しぶりです。現代人には蜘蛛の巣は嫌われていますね。何が違ってきたのでしょうね。それを考えてみるのもいいですね。
またコメントをお待ちしています。わからないことがあったら、気軽に聞いてください。
平安時代では、蜘蛛の巣は「待ち人が来る」と縁起の良いものだったようです。だから、朝蜘蛛の巣を見つけても、忌々しくは思わなかったでしょうね。読みが甘かったです。
女郎花と蜘蛛。こうして漢字にして気づいたのですが、女郎蜘蛛ってありますね。そう考えると、偶然だとしても物名は背景に活かされていると言えるでしょうか。
そうですね。私もそう思います。でも、こうして、思い直すことはいいことです。私もよく同じような思い違いをします。
女郎蜘蛛についてはどうでしょうか?「女郎」ではなく「上臈」という説もあります。また、「おみな」と蜘蛛が繋がっていたのでしょうか?これも現代からの観点のように思えます。
らんさん、お忙しくていらっしゃるのだろうなぁと思っておりました。お名前が見られて嬉しい!
『虫愛ずる姫君』っていうお話があったと思うのですが、昔も必ずしも虫が全て受け入れられていた訳ではなかったのでしょうね。
らんさんは、このところのハイレベルなコメントにタジタジとしてしまったのかもしれませんね。気楽に訪ねてほしいものです。いろんな意見がありますから。
『虫愛ずる姫君』でも、芋虫などは好かれていなかったようですね。今は、蝶さえ嫌われます。
*目障りと虫を残らず駆除するは清潔好きで可憐な乙女
*いち早く悲鳴を上げた者が勝ち蝶が舞い込む教室の女子(可憐な可愛さをアピールできるから。)