あつまの方より京へまうてくとてみちにてよめる おと
やまかくすはるのかすみそうらめしきいつれみやこのさかひなるらむ (413)
山隠す春の霞ぞうらめしきいづれ都の境なるらむ
「関東の方から京へ上って来るということで旅の途次に詠んだ 乙
山を隠す春の霞が恨めしい。どの辺りが都の境目になっているのだろう。」
「(霞)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「うらめしき」は、形容詞「うらめし」の連体形。ここで切れる。「(境)なるらむ」の「なる」は、断定の助動詞「なり」の連体形。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の連体形。
関東から京の都に向かう。そろそろ都の境目だと見当を付ける目標の山が見えてきてもいい頃だ。なのに、季節は春で一面霞が掛かっているために、肝心の山が霞に隠されて見えない。なんて憎たらしい春霞なの。これじゃ、元気が出ないじゃないの。
関東から京の都への旅は長い。女の脚なら尚更だろう。長旅に疲れも溜まってきた。気力も衰えてきた。一刻も早く着きたいと、気が逸るに違いない。よい気候になり、春霞が立っている。普通なら心が浮き立つ季節である。ところが、ここでは、皮肉にも春霞がかえって気力を萎えさせる。目標とする山を隠すからだ。そんな女の旅の一面をリアルに描いている。
コメント
「おと」という名で女性だということが分かるのでしょうか。
山に霞が掛かっている。いかにも春らしい、柔らかな風景に向けて恨み言を言う。何故か?遠方からやってきて、やっと京の入り口と思しき目印の山がそろそろ見えるはずなのに、まるで私を拒むかのように霞がその山を隠してしまう。あぁ、早く京に着きたい、、。
この人は京へ帰る人なのでしょうか?初めて京へ来たのなら、尚更、早く京の街を見たいことでしょうね。
「おと」は、壬生益茂(みぶのよしなり)のむすめという注のある伝本があります。たぶん、乙は以前は京にいた人で、一度関東に下って、その後上京するのでしょう。だから、目標となる山を知っていたのです。関東で育った菅原孝標女とは違うと思います。
自然はその時の心次第でいかようにも思えます。春を告げる春霞にしても心浮き立つものとは限りません。
自然はその時の心と状況次第でいかようにも感じる、本当にその通りだと思います。良かれと思ってした事が、却って仇になってしまう状況がありますよね。それとも通じるものがあるかと思いました。
女一人の旅と、頼る誰かが一緒の旅では、やはり覚悟も違いますしね。
女の旅ではあるけれど、さすがに一人旅ではないでしょう。前の歌は夫を亡くした旅でしたが、この旅の事情はよくわかりません。要するに、逸る思いを詠んだのでしょう。いずれにしても、京が特別な場所であったことがわかります。
確かに関東から京まで女一人旅は現実的ではないですね。乙さんは、武家のお姫様? いずれにしても、和歌の嗜みがある教養のある人ですね。
「武家」と言うのは、歴史的にピントがずれています。なるほど、武士が発生したのは平安中期と言われています。ですから、『古今和歌集』が作られた10世紀初めにもいたかも知れません。しかし、まだ一般的な存在ではありません。乙は、壬生益茂(みぶのよしなり)という貴族の娘です。これは既にすいわさんへのお答えに書きました。お読みにならなかったのですか?
いえ、読んだのですが、壬生益茂が貴族とわかりませんでした。調べ方が悪かったようです。もう少し色々調べてみます。
『古今和歌集』が貴族の歌集であること、武家が生まれたのは鎌倉時代というのが常識です。常識に囚われるべきではありませんが、常識を超えるのは簡単なことではありません。