ひたちへまかりける時に、ふちはらのきみとしによみてつかはしける 寵(ちょう・うつく)
あさなけにみへききみとしたのまねはおもひたちぬるくさまくらなり (376)
常陸の国に下った時に、藤原公利に詠んでやった歌。いつも逢うことのできる公利様だと、あなたのことを頼りにできませんから、あなたを思いながらも、思い立ってしまった常陸への旅なのですよ。
寵は、何らかの事情で常陸の国へ下ることになった。その折、あなたが当てにならないので、常陸の国へ行くことになったのだと、かつては親しかったけれど、今は疎遠になってしまった公利に恨み言を言う。「きみとし」に公利の名前を入れ込み、「おもひたち」に常陸を入れるなどして、未練の情を表している。あなたさえ頼りにできれば、常陸などという遠いところに行くことはなかったのにという恨み言にもなっている。
コメント
改めて見てみると最後の「なり」が「かな」ではないところが自分の思いというより相手に対して送った歌なのだなぁと思いました。思い立って旅立ったのなら「かな」になりそう。これまで積み重なることがあっての「なり」、あなたのせいでこうなったのだ、と。よく三十一文字の中にこれだけのドラマを詰め込むことが出来るものだと驚かされます。さらっと読むだけではここまで気付かず流してしまうところ。今まで何も見て来なかったのだと、『国語教室』で学ばせて頂いて日々思い知らされております。
なるほど、「なり」と相手に訴えているのですね。「かな」だと、独白の感じがしますね。それにしても、こうして言葉を手掛かりにして、状況や心情を思い描くのは楽しいですね。共に語り合えて嬉しく思っています。これからも切磋琢磨していきましょう。よろしくお願いします。
掛け言葉の散りばめ方が、絶妙ですね。
歌って、色々な解釈ができますね。すいわさんが仰るように、三十一文字の中に濃密なドラマがあって、文字にされていない部分を想像することで、また幾通りものドラマが生まれる。私の錆びついた想像力が、刺激されます!
歌を読むとは、言葉を手掛かりにしたドラマ作りでもありますね。歌の表現に沿っていれば、鑑賞となり、大きく逸れれば、創作になります。どちらにしても、楽しい営みです。まりりんさんはもう参加しています。これからも、一緒に楽しんでいきましょう。それをしないのは、もったいないです。