《女の思いやり》

ひたちへまかりける時に、ふちはらのきみとしによみてつかはしける  寵(ちょう・うつく)

あさなけにみへききみとしたのまねはおもひたちぬるくさまくらなり (376)

朝な日に見べききみとし頼まねばおもひたちぬる草枕なり

「常陸に下った時に、藤原公利に詠んでやった  寵
朝ごと日ごとに見られるあなただと頼りにしないから、思い立ってしまった旅である。」

「朝な日に」は、副詞。「(見)べき」は、助動詞「べし」の連体形で可能を表す。「きみとし」には、「君とし」(「し」は強意の副助詞)と「公利」が掛かっている。「頼まねば」の「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「おもひたちぬる」の「おもひたち」には、「思ひ立ち」と「常陸」が掛かっている。「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形。「(草枕)なり」は、断定の助動詞「なり」の終止形。
親しくしている藤原公利が官職を得て常陸国に下ることになった時に詠んでやった。
私はいつもお逢いしたいと思っているのに、いつも叶いません。公利様は私への思いが深くないので、私はあなたのことを頼みにしていません。そんな浅い関係ですから、ご自分のご都合だけで急に思い立ってしまった常陸国への旅なのですね。
これも置き去りにされた女の恨み言である。ただ、掛詞を使って技巧的であることもあり、あまり深刻さが感じられない。しかも、堂々と個人名を出している。この歌は前の歌とは違って、ポーズのようだ。作者は、わざと捨てられる女を演じている。男をモテる男に仕立て上げることで、気分良く出発させようとするためだ。これも遠い地方に行く男への一種の思いやりだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    確かに、前の歌のような深刻さは感じられませんね。ポーズ だとしたら、本当はこのお二人は仲良しなのでしょうか?
    歌を送られた公利も、それとわかっていて、つまり自分を持ち上げてくれた プレゼント、というか お餞別 のような歌?

    • 山川 信一 より:

      男は「いい人ね」と言われるよりは、「いけない人」と言われたいところがあります。寵さんは、その辺りの心理を心得ているのでしょう。微妙な関係だったのでしょうね。

  2. すいわ より:

    「つかわす」と詞書きにあるので同等の地位、もしくは女の方が位が上?
    女が旅立ちに際し、公利に送った歌なのかと思いました。「朝な日に」いつも一緒にいられない(婚姻関係を結べない)貴方を頼りには出来ない、ならばいっそ、ここを離れて旅立ってしまいます、と。前の歌とは反対に、煮え切らない男を見限る歌と思ったのですが、男が旅立つ側だったのですね。正反対の意味にとらえてしまいました。

    • 山川 信一 より:

      「つかはしける」とあるので、たぶん、女の方が上だったようですね。このまま読むと、女が旅だったように読めますね。その方が自然です。でも、東国に行くのはやはり公利の方でしょう。寵が旅立つとしたら、夫についていく場合です。すると、寵と公利の関係がかなりややこしいことになります。

    • 山川 信一 より:

      私は少し考えすぎたのかも知れません。何らかの理由で、寵が常陸の国に行けばいいのですから。それに、藤原公利は、藤原氏ですから常陸のような遠国の地方官になるのは考えにくい。もう少し考えてみます。

  3. すいわ より:

    「ひたちへまかりける時に」が気になります。
    『「朝な日に」いつも一緒にいられない(婚姻関係を結べない)貴方を頼りには出来ない、ならばいっそ、ここを離れて旅立ってしまいます』、詞書が無ければ男と添えない女が旅立った、という歌。詞書があるから「常陸」へ下ったことがわかるのですよね。
    『家格が違うが故に添えない、思いを断つにはここを離れるより他ない。愛しい公利、私は常陸にこの思いを連れて旅立ちます』
    「思いを断つ」のでなく「思ひ、常陸」と取れませんか?歌に愛しい人の名を織り込んでサインを残すような感じで。
    女が一人で旅立つ事は考えにくい、夫に随伴するとなると先生が仰るようにややこしい関係になってしまう。でも、歌の印象からは駆け引きするような女には見えない、、。父親の赴任先に着いて行く、というのは現実的ではないのでしょうか。貴方が思い切って私の手を引いてくれたなら都に残れたのに、と。

    • 山川 信一 より:

      確かに「ひたちへまかりける」のは、寵であると考えるのが自然です。なるほど、「父親の赴任先に着いて行く」ということはあり得ますね。ここは素直に読んだ方がよさそうです。別解を載せておきます。

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