ともたちの人のくにへまかりけるによめる 在原しけはる
わかれてはほとをへたつとおもへはやかつみなからにかねてこひしき (372)
別れてば程を隔つと思へばやかつ見ながらに予て恋しき
「友だちが地方へ下った時に詠んだ 在原滋春
別れてしまったら道のりを置くと思うので、一方では顔を見ながらも前もって恋しいのか。」
「別れてば」の「て」は、完了の助動詞「つ」の未然形。「ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(思へ)ばや」の「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(見)ながらに」の「ながらに」は接続助詞で状態が変わらないのにという意を表す。「恋しき」は、形容詞「恋し」の連体形。
友だちが京都から遠く離れた他国に下ることになった。その時に詠んだ。
君と別れてしまったならば、遠く離れ離れになってしまう。寂しいなあ。そう思うからだろうか、一方で君の顔をこうして見ているのに、もう前もって君を恋しく思ってしまう。恋しいというのは、別れて後に抱く感情なのにね。別れたらどんなに君が恋しいことだろう。僕は寂しくてたまらないんだ。
親しい友との別れである。前の歌との違いは、別れる人を「人」と言うか「友だち」と言うかの違いにある。「人」は、作者にとって大切な友であっても、やや心理的距離間がある人なのだろう。この歌の「友だち」に対するような気安さは感じられない。その違いが「何心地せむ」と「恋しき」に表れている。「友だち」の場合は、その感情が「恋しき」と予想できるのである。編集によって、予想できない感情と予想できる感情とが対比されている。友にも様々な友がいる。したがって、別れの思いも様々なのである。
コメント
同じ友達でも、その 親しさ に応じた微妙な距離感の違いがあって、別れの時に抱く思いもそれによって変わりますね。この歌では、親友 と呼べるような打ち解けた間柄でしょうか。まだ別れていないのに寂しくて仕方がない様子なので。
確かに、友だちと言っても、親しさに応じた微妙な距離感の違いがありますね。前の歌と比べると、その差がよくわかりますね。
歌というよりも目の前の友にそのまま話しかけているように思えます。距離感が近い。詞書の「人のくにへ」、詠み手も勿論ですが、赴任する当人も見知らぬ土地、知らない人の元で働く不安を感じているようです。それを詠み手が汲み取っている。言葉に出して「寂しい」と伝えられる間柄なのですね。
「みなからにかねて」、居なくなってから、ああ、そう言えばと寂しく思うのでなく、そこに居るのが当たり前の人がいなくなる喪失感をまだ発つ前から感じているところが、別れ難さを強調しています。行った先で困らないようにあれも持たせよう、足りないものは無いか、、し尽くせる事なんてないのですけれど。
友の数だけその仲に違いがあります。この二人は何でも口にできる間柄なのでしょう。そんな人がいなくなるのは互いにとって、どんなに寂しいかが前もってわかってしまうのでしょう。