さたときのみこのをはのよそちの賀を大井にてしける日よめる きのこれをか
かめのをのやまのいはねをとめておつるたきのしらたまちよのかすかも (350)
亀の尾の山の岩根をとめて落つる滝の白玉千世の数かも
「貞辰の親王の叔母の四十の賀を大井でした日に詠んだ 紀惟岳
亀山の尾の山の大岩を求めて落ちる滝のしぶきの白玉は、あなたの齢の千年の数かなあ。」
「亀の尾の山の岩根をとめて落つる滝の」が「白玉」に掛かる長い修飾語になっている。「かも」は、終助詞で詠嘆を込めた疑問を表す。
大井と言えば、亀山が思い出される。その亀山の滝は大岩の根本を伝わって落ちる。その滝のしぶきはまるで白玉のように見える。その美しいしぶきを見ていると、これから続くあなたの美しい千年の齢の数を表しているのかのように思えてきます。
『徒然草』の第五十一段に「亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて」とある。亀の尾の山は、大井にあったのだろう。あるいは、山も滝も貞辰の親王の邸宅の庭に造られたものかも知れない。いずれにせよ、賀の席であるから「亀」という縁起のいい、めでたい名前を出してきた。「岩根をとめて」は、貞辰の親王の庇護を暗示しているようだ。そして、これも縁起のいい「白玉」という言葉を出してくる。白玉のように美しい滝のしぶきが途切れることなく落ちてくることをイメージさせる。その上で、最後にそれが叔母の齢であると転じ、叔母が送るだろう、亀の齢のように長く、白玉のように美しく汚れ無き幸せな人生を願う気持ちを伝えている。実景を元に詠んでおり、白玉に掛かる長い修飾語は、垂直に落ちてくる滝を思わせる。
コメント
長ーい修飾語ですね。白玉が強調されて印象づけられます。
真っ直ぐ勢いよく落ちる滝から白い飛沫が無数に飛び散る様子が浮かんできます。美しい絵画を見ているようです。縁起の良い、美しい歌をお祝いに贈る。何と粋なことでしょう。
滝からの白い飛沫を無数の真珠にたとえています。本当に美しい絵画を見ているようですね。賀の歌ですから、如何にめでたく作るかが問われています。見事な出来ですね。
長寿の象徴として土地柄もあわせての「かめのをのやまのいはね」なのでしょうけれど、女性のお祝いの言葉としては武骨な印象を受けます。でも、それがかえってその後の「たきのしらたま」の美しさを際立てているようにも思います。
数多の水しぶき、その一粒一粒のような美しい一年一年が貴女に巡りますように、という感じでしょうか。
縁起物で描かれる亀、甲羅に藻が生えて長い尻尾のようになっていますよね?「亀の尾」と聞いてまずこれを思い浮かべました。甲羅が山、尾が滝の流れ。これは全く見当違いではありますが、雌の亀なら卵を産むし、亀の卵、まん丸の真っ白です。子孫繁栄のイメージが広がりました。
やはり女性に亀はふさわしくありませんか。女性心理とはそういうものなのですね。勉強になりました。しかし、相対的に「たきのしらたま」を引き立てる役割を果たしていると考えれば納得がいきますね。
白玉は真珠のことですから、亀の卵と重なりますね。子孫繁栄にも繋がりそうです。