《晩秋の一風景》

題しらす よみ人しらす

かれるたにおふるひつちのほにいてぬはよをいまさらにあきはてぬとか (308)

刈れる田に生ふるひつぢの穂に出でぬは世を今更にあき果てぬとか

「稲を刈り取った田に生えている新芽が穂にならないのは、世を『今になって飽き果ててしまった』(『すっかり秋になってしまった』)というわけなのか。」

「かれる」には、「刈れる」の「る」は、助動詞「り」で完了を表す。「生ふる」の「る」は、助動詞「り」で存続を表す。「出でぬは」の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「は」は、係助詞で主題を表す。「あき果てぬ」の「あき」には、「飽き」と「秋」が掛かっている。「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「とか」の「と」は格助詞、「か」は係助詞で、不確実な想像を表す。
稲を刈り取った田は、一面枯れ果てていると思いきや、刈り株から新芽(「ひつぢ」)が出ている。しかし、「ひつぢ」は穂になることがなく、やがて枯れてしまう。その訳は、「ひつぢ」が世の中を今になって飽き果ててしまったと思うからか。あるいは、世の中がすっかり秋になってしまった(のでそれに倣おう)と思うからか。
この歌も晩秋の一風景である。刈り取った稲の株に新芽(「ひつぢ」)が出ても、やがて枯れてしまう。作者は、普通誰も目にとめないであろう、その小さな変化に目を止めている。そして、「ひつぢ」とは、何とも空しい存在だと寂しくなる。そこで、その寂しさを紛らわそうと、「ひつぢ」に主体性を認め、いい訳を言わせたのである。
編者は、晩秋の取るに足りない小さな変化に目を止めたことを高く評価したのだろう。前の歌とは、「稲の葉」と「ひつぢ」で繋がっている。
この歌も、詞書によっては、年老いてから何か新しいことを始めはするが、直ぐに止めてしまう人のいい訳のようにも読める。しかし、ここではあくまでも秋の歌なのである。

コメント

  1. まりりん より:

    この歌は、前の歌と違って人の気配がしませんね。動きのない地味な景色の中、唯一「生ふるひつぢ」に生命力を感じます。
    でも、切株からせっかく出たひつぢも、殆ど誰からも気づかれないまま稲穂に育つことなく枯れてしまう。ここに世の不公平さとか、不条理とか、努力しても実らなかった無念とか、抗えない運命とか、、そういったことに対する虚しさ、負の感情が含まれているのでしょう。一方で、作者は誰も目に止めない小さな事にも気づく繊細さ、優しさを兼ね備えている方のようです。
    「世を今更に飽き果てぬ」は、言い訳に加えて「穂に出でぬ」ことを諦めているようにも感じます。

    • 山川 信一 より:

      なるほど「生ふるひつぢ」には、生命の不公平さ・不条理を感じます。そして、作者のそれへの嘆きが感じられます。ただ、それを前面に出さず「世を今更に飽き果てぬ」と言ったところに作者の奥ゆかしさを感じます。
      「ひつぢ」に目を止めるところに、作者の繊細さ優しさが表れていますね。

  2. すいわ より:

    307番の歌とは対照的に掛詞が満載ですね。意識的に配置されたのでしょう。精緻な編集。
    「刈れる=枯れる」「生ふる=老ふる」「秋果てぬ=飽き果てぬ」
    306の歌は壬生忠岑の歌、307、308はもしかしたら貫之が歌の型として忠岑の歌を受けて詠んだのかしらと思いました。取りようによっては全く違う歌にも取れる、なので詞書は「題知らす」、というのも実は「よみ人しらす」にする為の二重の仕掛け?「穂に出でぬ」歌。

    • 山川 信一 より:

      「詠み人知らず」とあるのは、貫之の手が入っているから。なるほど、「穂に出でぬ」歌ですね!編集の妙を感じますね。
      掛詞なのですが、これは少々説明が要るます。「刈れる=枯れる」「生ふる=老ふる」は、この通りにはいきません。「刈れる」は「刈れ」+「る」ですが、「枯れる」は現代語であり、古語では「枯るる」になるからです。また、「生ふる」(ハ行上二段活用・連体形)に対して、「老ふる」という語形はありません。「老ゆ」(ヤ行上二段活用)は「老ゆる」なります。とは言え、イメージとしては、「刈れる」に「枯るる」、「生ふる」に「老いる」が重なっているかもしれません。

      • すいわ より:

        先生、解説有難うございます。つい、今の語感で考えてしまいます。
        話し言葉と書き言葉の違いもあると思うのですが、今の言葉のままで何時代あたりまで話が通じるだろうと思うことがあります。日々生まれ廃れて行く「言葉」、長く長く生き続けるのはどんな言葉なのかとか、調べてみたくなります。

        • 山川 信一 より:

          勝手な思いですが、話し言葉は結構通じるのではないでしょうか。同じ日本語ですから。ただ書き言葉にはルールがあって、厳密だったようです。『古今和歌集』では、文法を大事にしています。それを元に思いを伝え合うからです。

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