秋のうた かねみの王
たつたひめたむくるかみのあれはこそあきのこのはのぬさとちるらめ (298)
竜田姫手向くる神のあればこそ秋の木の葉の幣と散るらめ
「秋の歌 兼覧王
竜田姫を手向ける神があるからこそ秋の木の葉が幣のように散っているのだろうが・・・。」
「神のあればこそ」の「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「こそ」は、係助詞で強調を表し、係り結びとして働き文末を已然形にする。以下に逆接で繋げる。「幣と」の「と」は格助詞でたとえを表す。「散るらめ」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形。
秋を司る竜田姫が役目を終えて帰って行こうとしている。その帰途の安全を願って幣を手向ける神があるからこそ、秋の木の葉が幣のように散っているのだろう。しかし、本当は、竜田姫に帰って欲しくないし、幣を手向けるようになっても欲しくない。秋が行ってしまうのは寂しいことだなあ。
秋が竜田姫によってもたらされ、道祖神がそれを見送る。木の葉が散るのは、旅の安全を願うための幣なのだ。これは、なんとも楽しい想像ではないか。秋が行ってしまう寂しさをこう想像することで自分を慰めている。しかし、そう想像してもなお収まらない寂しさが残るのである。
コメント
季節が移ろい竜田姫の出立の日、土地神は旅の安全を記念して幣を振る。それに応えて竜田姫もお手振りなさったでしょうか。
何かまるで映画でも見ているかのような感覚になりました。別れ行く場面、見ている側のまだ秋を留めたいヤキモキとした気持ちを知る由もなく竜田姫は役割を終え立ち去って行く。木の葉舞い散る名残の秋を印象付けて。
ここでも「こそ」の効果が効いていますね。
神話を思い描いているのでしょう。楽しくなってきますね。「こそ」二は様々な含みがありますね。
晩秋の冷たい空気の中で、木の葉が午後の光を受けながら はらはらと舞い落ちている様子が目に浮かびます。幣は神様に対して納められるのですよね。 舞い散る木の葉は、同時に、美しい秋をもたらしてくれた竜田姫に浴びせられる喝采のようにも見えてきます。
これは、秋の木の葉が竜田姫の旅の安全を願って、道祖神に無差を手向けたと読むべきでした。「幣は神様に対して納められるのですよね。」その通りです。「美しい秋をもたらしてくれた竜田姫に浴びせられる喝采のよう」は、素敵な鑑賞です。