《水の括り染め》

二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風にたつた河にもみちなかれたるかたをかけりけるを題にてよめる なりひらの朝臣

ちはやふるかみよもきかすたつたかはからくれなゐにみつくくるとは (294)

ちはやぶる神世も聞かず竜田川唐紅に水括るとは

「二条の后藤原高子が皇太子の母である御息所と申し上げた時に、御屏風に竜田川に紅葉が流れている画を描いてあったのを主題にして詠んだ 業平の朝臣
神代にも聞かない。竜田川が美しい紅色に水を括り染めにするとは。」

「ちはやぶる」は、「神」の枕詞。「聞かず」の「ず」は、打消の助動詞「ず」の終止形。ここで切れる。以下は、倒置になっている。
神代には、荒ぶる神がおり、様々な不思議なことをしたと聞く。しかし、その神代にだってこんなことは聞いたことがない。この竜田川が、散り流れる紅葉で、青いはずの水をこれほど鮮やかな紅色の括り染めにするなどということは。
竜田川に紅を中心とした様々な色の紅葉が流れている。作者は、その紅葉のこの世のものとも思えない美しさを表そうとした。そこで、紅葉が水を括り染めにした、すなわち、本来青いはずの水を赤く変えてしまったと言う。青と赤の対照が紅葉の鮮やかさを際立てている。
ちなみに、「括り染め」とは、布を部分的につまんで糸で括って染め残しを作り、いろいろな模様を染めることである。このたとえを用いたのは、川で染め物をすることからの連想だろう。
竜田川を流れる紅葉の美しさを、前の歌が「湊」という空間軸によったのに対して、この歌は「神代」という時間軸によって表している。「素性法師さんは、そうきましたか。それならこれではどうですかな?」と、業平が言っているようだ。また、この歌は、この時代に和歌が神代にもまして発達したことを暗示しているのだろう。そして、様々な歌を生み出す屏風画の見事さ、延いては、和歌を庇護してくださる藤原高子を讃えているのだろう。ちなみに、『伊勢物語』(百六段)では、実景を詠んだ歌になっている。歌は設定により様々な意味を持ち得ることを示している。

コメント

  1. すいわ より:

    これは素性法師の歌に触発されて負けてはいられまい、と趣向を変えて歌ったのですね。
    「紅深き」で色の濃さと海の深さ広さを思わせるのに対して
    「唐紅に水括る」で渡来の染料、日本古来の染料では出せない鮮烈な赤い色と三纈の中で一番手間のかかる纐纈で立体的に染められた特別感を出している。
    素性法師の歌もいいと思いましたが、「唐紅」で強い色が飛び込んできて、インパクトがあります。業平、高子の前で本気を見せた、と思いました。

    • 山川 信一 より:

      この歌は歌合の歌ではありませんが、高子の前で詠むとなれば、業平は力を入れたことでしょう。高子は、駆け落ちまでした昔の恋人ですからね。
      纐纈は、一番手間の掛かる絞り染めなのですね。ご経験がお有りなのでしょうか。絞り染めは、確かに立体感がありますね。括り染めになった川の水の色が目に浮かびます。

  2. まりりん より:

    何と美しい情景でしょう。写真で見るよりも強烈に瞼に残ります。
    なるほど、括り染めとは、絞り染めの事なのですね。

    先生、私、中学の時はあんなに嫌いだった古典や和歌に、最近は妙に心惹かれるのです。
    歳をとったのでしょうね。。

    • 山川 信一 より:

      物事には、学ぶにふさわしい年齢がありそうですね。勉強はそれに合わせたいものですね。
      ぞうぞ、心惹かれるままに、この教室に顔を出してください。一緒に学びましょう。

  3. らん より:

    私、ちはやふるの漫画が大好きなんです。
    主人公の千早が1番とりたい、外せないかるたの歌でした。
    真っ赤に見える札です。

    • 山川 信一 より:

      「ちはやふる」が漫画のタイトルになっているのですね。業平の歌であることもあるのでしょう。高子とのロマンも見え隠れします。
      歌は想像力を刺激してくれますね。漫画の主人公に、この札が真っ赤に見えるのは、歌の意味もしっかりわかっているからでしょう。

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