《州浜の幻想》

仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる  素性法師

ぬれてほすやまちのきくのつゆのまにいつかちとせをわれはへにけむ (273)

濡れて干す山路の菊の露の間にいつか千年を我は経にけむ

「仙人の住む所へ菊を分けて人が到る姿を詠んだ  素性法師
濡れて干す山道の菊の露。そのほんのちょっとの間に自分はいつ千年を経てしまったのだろうか。」

「菊の露の間に」の「露」が「菊の露」と「露の間」の掛詞になっている。「いつか」の「いつ」は、代名詞。「か」は、係助詞で疑問を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「経にけむ」の「けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の連体形。
仙宮へ行く山道の菊の露によって、衣が濡れてしまった。それを干すほんのちょっとの間に、私は俗界での千年の時を過ごしてしまったのだろうか。
この歌は、菊合で作った州浜の中の人物になって詠んでいる。この歌も菊の花がいかに美しいかを表している。その菊は、まるで仙宮で咲く花のように美しく、千年の時も一瞬で過ぎ去ってしまうと思えるほどだ。自分を幻想的な気分にさせると言う。州浜とセットになった歌である。

コメント

  1. すいわ より:

    州浜が海ならばこちらは山。菊の咲き揃う所に分け入って進むと、その露で衣が濡れてしまった。ふと振り返ると菊がまるで雲海の如くに見える。逍遥したのは露置く菊で濡れた衣の乾く程度の短い時間だったというのに、私はいつの間に千年の時を経て、足元に雲海の広がる仙宮まで来てしまったのだろう?
    こんな感じかと思いました。詞書きで「仙宮」と見立てた事で歌の「ちとせ」の千と掛かるし、州浜(海)に対して山を意識させる事に成功していますね。

    • 山川 信一 より:

      州浜には、蓬莱山という山も作るようです。そこまでの道程を想像したのですね。なるほど、「仙」と「千」、海と山を対比させていますね。想像力を駆使した知的な遊びですね。

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