《雨漏りの山》

もる山のほとりにてよめる つらゆき

しらつゆもしくれもいたくもるやまはしたはのこらすいろつきにけり (260)

白露も時雨もいたくもる山は下葉残らず色づきにけり

「守山の辺で詠んだ  貫之
白露も時雨もひどく漏る守山は下葉が残らず色付いてしまったなあ。」

「もる山」の「もる」が「守」と「漏る」の掛詞になっている。「にけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形で、「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
滋賀県の守山の辺りに来たところ、折しも「時雨」が降ってきた。山の木々は、下葉まですっかり紅葉している。そこで、木の葉は「白露」ばかりでなく「時雨」によっても色付くのだ、この山は「白露」も「時雨」も漏れるから「守山」と言うのだと気づき感動した。
この歌では、紅葉を促すものとして、「白露」に「時雨」を加えている。多くの人が「白露」に注目している。けれど、木々の葉を濡らすなら、「時雨」もあるのではないか。それを忘れていないかと、それとなく指摘している。つまり、木の葉が様々な色に染まるのは、「白露」ばかりでなく、様々な要因があるのだと言いたいのだ。「守山」という地名に引っかけて詠んでいるのは、この歌がこの地への挨拶にもなっているからだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    掛け言葉が面白いです。
    現代だと木の葉の色付くのは気温の下がって来るのと連動させて考えるように思うのですが、平安人は水を介して紅葉すると考えているのですね。だから紅葉も乾いたカサカサ感がない。しっとりと艶やかな紅葉の美しさはまた格別なことでしょう。
    「色が変わること」→「染める」、色の取り合わせに名を付けるくらい色に対する美意識が高かった事を思うと、色が変わる染色の工程を思い描いた時、水は欠かせないのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、面白い着眼点ですね。言われてみれば、染め物には水が欠かせません。だから、平安人たちは、色の変化を水とセットで考えていたのですね。この観点で和歌を読むと、これまでに気が付かなかったものが見えてくるような気がします。

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