《色っぽい秋の花々》

題しらす よみ人しらす

ももくさのはなのひもとくあきののをおもひたはれむひとなとかめそ (246)

百草の花の紐解く秋の野を思ひ戯れむ人な咎めそ

「いろいろな草の花のつぼみが開く秋の野で私は思いを寄せ戯れ遊ぼう。誰も非難してくれるな。」

「秋の野を」の「を」は格助詞で、動作が行われる空間的な場を表す。「思ひ戯れむ」の「む」は、意志の助動詞「む」の終止形。ここで切れる。「人な」の「な」は、副詞で、「とがめそ」の終助詞「そ」と呼応して禁止を表す。
秋の野では、今まさにいろいろな花のつぼみが開いている。そのために、そこで思いのままに戯れ遊びたいという思いに駆られる。花々が誘う。花の開花がまるで女性が衣の紐を解くかのように見えるからだ。しかし、だからと言って、私をふしだらなヤツだと、非難しないで欲しい。あくまでも、女性ではなく花と戯れるのだから。
秋の野の花々の開花を女性が衣の紐を解くことにたとえている。秋の野の花は、女郎花に限らず、そこで一夜そこで過ごしたくなるほど艶めいて、心を捉えて放さない。そのまま帰りたいとは思えないほど男心を誘う。春の花が清楚な少女であれば、秋の花は濃艶な大人の女性である。作者は、秋の野の花の持つ魅力をそう捉えた。その意味で、この歌は春と秋の比較論になっている。ただ、作者にはこのたとえを読者が素直に受け入れてくれるかどうかにいささか不安があった。そこで、「ひとなとかめそ」を加えたのである。この依頼は、このたとえを認めさせるための仕掛である。予め依頼を出すことで、その前提である、女性が衣の紐を解くという捉え方を読み手に受け入れさせたのである。

コメント

  1. すいわ より:

    百草、春の花に比べて秋の野に咲く花々は一つ一つのインパクトは弱いけれど、それぞれが野を彩る事で野全体が輝きます。その一ひら一ひらに注目した所が好ましい。踏み入ってその色、香りに包まれる心地よさ、例えるなら、、あの花、この花と遊び歩く姿を浮気な心を持つ者と思われたくないのですね。

    • 山川 信一 より:

      女郎花を巡ってのあだし心をこの歌では秋草の花全体に及ぼしています。秋草の花には、ある種の妖しさを感じるのでしょう。女性が紐解くように見えるのですから。

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