《薫香の藤袴》

ふちはかまをよめる そせい

ぬししらぬかこそにほへれあきののにたかぬきかけしふちはかまそも  (241)

主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に誰が脱ぎ掛けし藤袴ぞも

「藤袴を詠んだ  素性
薫香の主が誰かわからない香りが香っているが、それは秋の野に誰が脱ぎ掛けた藤袴だろうか。」

「香こそ」の「こそ」は係助詞で強調。係り結びとして働き、文末を已然形にする。ここで一度切れつつ、次に逆接で繋がる。「掛けし」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「ぞも」は、「ぞ」 も「も」もともに終助詞で、感動を込めて疑う気持ちを表す。
どこからか桜餅のような甘い香りがしてくる。これはどなたかが薫きしめた香に違いない。しかし、その主の姿は見えない。いや、そうではなく、これは、秋の野に誰かが脱いで掛けた藤袴が香ってきたのではないだろうか。
実は、野に咲く藤袴はほとんど香りを放たない。藤袴は薫香にして始めて香るものである。その藤袴の薫香がどこからか香ってくる。しかし、その主はわからない。そこで、その香は、秋の野に誰かが脱いで掛けた藤袴から香ってきたのだろうかと言う。色鮮やかではあるけれど、薫香として用いないと、自然には、ほとんど香らない藤袴の特徴を詠んだのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    秋の野に良い香りが満ちている。いったいどの花の香りだろうか。いや、これはいずれかの貴人が焚きしめた藤袴の香り、花野の景色に香りを添えたものか。
    紫匂うこの完成された美に人の手も携わっている事への感動が感じられます。

    • 山川 信一 より:

      部屋の内に、藤袴のよい香りがしています。しかし、その主がいません。そこで、それは秋の野から漂ってきたのだと思います。しかし、野の藤袴に香りがないことを知っています。ならば、誰かが藤袴の香を薫きしめた袴を掛けたものに違いないと思います。
      美は、人の手が加わってこそ生まれると言うことですね。いわゆる「自然は芸術を模倣する」と言うことでしょう。

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