これさたのみこの家の歌合によめる としゆきの朝臣
なにひとかきてぬきかけしふちはかまくるあきことにのへをにほはす (239)
何人か来て脱ぎ掛けし藤袴来る秋毎に野辺を匂はす
「誰が来て脱ぎ掛けたのかなあ。藤袴は来る秋毎に野辺を彩る。」
「なにひとか」の「か」は、係助詞で疑問・詠嘆を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「ぬきかけし」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、ここで切れる。ここまでが思いを述べ、後半は、その基となる事実を述べる。「藤袴」を着物として扱っている。「匂はす」は、彩りと香りを兼ねている。
藤袴の花が今年の秋も野原一面を彩り、香っている。誰か高貴な方が脱いで掛けた藤色の袴を思わせるなあ。その方は秋毎に律儀に袴を掛けに来てくださる。藤袴の何とも品のよい色と香よ。
六〇三年に制定された冠位十二階では身分に色が割り当てられ、官吏はその色の冠を着用した。位の順に、紫→青→赤→黄→白→黒だった。平安貴族はこの伝統影響されたのか、特に紫を好み、高貴な色として扱った。そのため、藤袴の色と香には、品のよさを感じたようだ。女郎花と藤袴の扱いの違いは、色への意識が植物にも及んだからだろう。
コメント
藤袴の咲く頃となり、野辺も衣替えをする。決して華々しさは無いものの、そこはかとなく香り立つ優美な装いに衣を掛け替えたのは誰?「秋」という貴人、絢爛豪華な印象がありますが、視覚の秋より前にダイレクトに感性に届く香りのベースを纏わせる演出。あぁ、またこの季節が巡って来た、と。
「くるあきことに」の「来る」が重なるので「きてぬきかけし」は「着て(いたものを)脱ぎ掛けし」なのかと思いました。
この歌は、秋を貴人に見立て、巡り来る秋という季節への挨拶になっています。「匂う」は視覚と聴覚への刺激を兼ね備えた語です。ここでは、色が主役で香りは脇役になっています。香りを主役にする時には、「香」という語を出してきます。「きて」は、「着て」にはやや無理があります。「脱ぐ」と言えば、着ていたことはわかります。むしろ、わざわざここまでやって来てという意味で言ったのではないでしょうか?そうとることで、「くるあきごとに」も生きてきます。
「♪〜紅匂う」の「匂う」ですね、視覚と嗅覚への刺激を兼ね備えた言葉、納得しました。
藤袴、花の印象より香りの印象の方が強く、見えないものを視覚化したととらえてしまいました。
この次の歌から「香」が出て来ます。歌集の編集としては、まず色の印象を扱った歌から入ったのでしょう。香りの印象に強い花なので、敢えて「香」とは言わなかったのではないでしょうか?
なるほどー。
素晴らしい歌ですね。
色の順番だなんて驚きでした。
紫は一番で、黄色や白は勝てないのですね。藤色は確かに品が良い色ですよね。
でも、脱いでおいてある袴なのですか‼️
人は、往々にして、本体よりもその名前に反応してしまいます。「女郎花」だから、こうだろう。「藤袴」だから、こうに違いないというふうに。
でも、なぜ袴なのでしょうね。野が袴を履いたように見えるからでしょうか?