《男心をそそる花》

ものへまかりけるに、人の家にをみなへしうゑたりけるを見てよめる  兼覧王(かねみのおほきみ)

をみなへしうしろめたくもみゆるかなあれたるやとにひとりたてれは (237)

女郎花後ろめたくも見ゆるかな荒れたる宿に一人立てれば

「あるところへ行った折に、知らない人の家に女郎花が植えてあったのを見て詠んだ 兼覧王
女郎花が気がかりにも見えることだなあ。荒れている家に一人立っていると。」

「後ろめたくも」の「も」は、強調を表す。「かな」は終助詞で詠嘆を表す。ここで切れる。以下は、倒置になっている。
あるところに行った折、ふと見かけた家。戸口に女郎花が植えられている。なにかありそうで、どうにも気に掛かる。荒れている家の戸口に一人で立っているので。
問題は「一人立っている」のが誰かである。まず、女郎花が擬人化されていると解することができる。群れから離れて一人寂しげに咲いている。それは、作者を待っている女のようにも思えてくる。そのイメージは確かにある。しかし、それを踏まえつつも、素直に読めば、「見ゆる」に対応して作者自身が「立てれば」と解される。では、一人で立っていると、なぜ「うしろめたく」なるのか。それは、こういう荒れている家には、何かありそうな気がしてならないからだ。そして、女郎花が植えられているので、女郎花にふさわしい人が住んでいる気がしてならないからだ。しかも、作者は今、誰にも束縛されることのないひとりの身だからだ。女郎花はこんな風に、男心を否応なく刺激して止まない花である。

コメント

  1. すいわ より:

    「うゑたりける」、咲いているとは言わないのですね。もともと野の花、誰かの意思によってその場所に植えられた。女性と見立てるのなら「連れてこられた」。「知らない人」の寂れた家にいる「知っている花(女)」。季節が違うけれど『伊勢物語』の第六十段を思い出しました。かつて関わりのあった女が自分の元を離れ、偶然通りかかった先で一人誰を待つのか、寂れた賎家にいる。立ち入ることは出来ない、でも今、何かに導かれ私はここにいる。気持ちを傾けずにはいられませんね。
    派手さが無い分、現実味を感じさせるのか、ただ一輪の花を見てそれぞれがそれぞれの思いを抱きやすいのかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      「うゑたりける」を「連れてこられた」と読み解いたことに共感します。そrで、『伊勢物語』の第六十段を連想されたのですね。女郎花は、人に物語を抱かせずにはいられない花なのでしょう。

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