《秋霧に隠れる女郎花》

朱雀院のをみなへしあはせによみてたてまつりける たたみね

ひとのみることやくるしきをみなへしあききりにのみたちかくるらむ (235)

人の見る事や苦しき女郎花秋霧にのみ立ち隠るらむ

「朱雀院の女郎花合わせに詠んで、献上した  忠岑
人が見るのがつらいのか。それで、女郎花は秋霧の中にばかり隠れてばかりいるのだろう。」

「や」は係助詞で疑問を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「くるしき」は、形容詞「くるし」の連体形。ここで切れる。「たちかくる」の「たち」は接頭辞で、下の動詞の意味を強める。「のみ」は、副助詞で限定を表す。「らむ」は、現在推量の助動詞の終止形。
秋の野に女郎花を見に来たのに、秋霧が立ってその姿が見えない。女郎花は、女だから、人に見られるのがつらくて秋霧の中に隠れてしまったのだろう。女郎花は、恥ずかしがり屋だなあ。
実際には、秋霧が女郎花を立ち隠している。それを残念に思う。そこで、女郎花を擬人化して、女郎花が隠れたと捉えている。女郎花は女だから仕方がないとする。それは、自ら残念な思いを少しでも慰めるためである。そして、これは、こういった場合の慰め方の提示にもなっている。

コメント

  1. すいわ より:

    「ひとのみる」、不特定の人から視線を集めてしまう女郎花。魅力的であればこそ誰もが見入ってしまうのでしょうけれど、見られる側の気持ちは、、。
    詠み手も皆と同じく花盛りの女郎花を見たい。それなのに立ち込める霧に視界は阻まれ何とも口惜しい。内気で奥ゆかしい女ならベールの向こうに隠れたくもなるだろう、と思えば少しは気も済む。そんな風に気持ちの落とし所をつける。歌の形に留めれば誰かと気持ちも共有できますね。

    • 山川 信一 より:

      歌は自らのささやかな発見であり、その提示です。そして、提示によって他者の共感を求めます。歌は、こうして人と人とを繋げるものです。

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