《女郎花のあだっぽさ》

僧正遍昭かもとにならへまかりける時に、をとこ山にてをみなへしを見てよめる  ふるのいまみち

をみなへしうしとみつつそゆきすくるをとこやまにしたてりとおもへは (227)

女郎花憂しと見つつぞ行き過ぐる男山にし立てりと思へば

「僧正遍昭の元に奈良へ行った時に、男山で女郎花を見て詠んだ  布留今道
女郎花を嫌だと見ながら行き過ぎる。男山に立っていると思うので。」

「ぞ」は、係助詞で強調を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「過ぐる」は、上二段活用の動詞「過ぐ」の連体形。ここで切れる。「し」は、強意の副助詞。「立てり」は、存続の言い方。「思へば」の「思へ」は、四段活用の動詞「思ふ」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。下の句は、倒置になっている。第五句は、字余りになっている。ただし、それは「とおもへば」の「と」の母音が「O」で、「お」と同じなので、融合して気にならない。
女郎花は、秋の野に咲く控えめで清楚な花と思っていたけれど、意外にも男山にも咲いている。自ら進んで男に媚びを売っているようで、嫌な感じがする。そう思ってみると、その黄色には、男心をくすぐるようなあだっぽさも感じられる。女郎花は、そんな思いを抱かせる罪な花である。
男には、女は、男っ気がなく無垢なままでいて欲しいという願望がある。しかし、その実、隅に置けないしたたかなで、男には手に負えない存在なのだ。「をみな」という名を持つこの花も同様だった。お陰で、女の嫌な面を思い出してしまったと言うのだ。
この歌は、前の遍昭の歌を踏まえたのだろう。前の歌から、遍昭と言えば「女郎花」という連想が働いたのかも知れない。

コメント

  1. すいわ より:

    詞書から前の歌が大きく影響している事が伺えますね。「女郎花」、その名でなければ幾つもある野の花の一つでしかない。「名」故に厭われるのは哀れではあるけれど。
    よりにもよって「男山」に佇むとは。さほど目立つこともなく、だからこそ、素知らぬ顔でしれっと入り込んでいることへの嫌悪。そうして心煩わせていること自体、関心があってのこと。男心も複雑ですね。

    • 山川 信一 より:

      女郎花は、男心を弄ぶ小悪魔的な花。独占したいのに、誰の物にでもなってしまいそうな花。地味と思いきや、男なら誰もが意識している花。この花のそんな印象を詠みました。

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