第二百十段  話題転換

「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥とも、さだかに記せる物なし。ある真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をばおこなふ次第あり。これは鵺(ぬえ)なり。万葉集の長歌に、「霞立つ長き春日の」などつづけたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通ひて聞こゆ。

真言書:真言宗で行う修法のことを書いた本。
招魂の法:死者の魂を招いて供養する法。
万葉集の長歌:「霞立つ長き春日の暮れにけるわづき(=区別)も知らず群肝の(枕詞)心を痛みぬえこ鳥」(巻一)

「『喚子鳥は春の季のものである。』とだけ言って、どういう鳥であるとも、はっきり記してあるものは無い。ある真言書の中に、喚子鳥が鳴く時に招魂の法を行う、その順序書きがある。この場合の喚子鳥は鵺である。鵺は、万葉集の長歌に、『霞立つ長き春日の』など続けている。鵺鳥も喚子鳥の様子が似通っているように思われる。」

喚子鳥は、稲負鳥・百千鳥と共に『古今和歌集』の「三鳥」と言われ、正体がはっきりしない。兼好はそれを喚子鳥を「鵺なり」と断定している。その根拠として、真言書の招魂の法を挙げている。しかし、この場合の喚子鳥がなぜ鵺なのかついては何も言っていない。これでは説得力に欠ける。
この段の内容は、前段とも後段とも繋がりが感じられない。「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」る姿勢を示したのだろう。その一方で、関心の幅、教養のほどを示そうとしたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    人寄りの話題が続いていました。これまでも全く違う話題を挟んで読み手の関心を惹きつけ続けるリズムを作っていました。読み手を意識して綴られていることが通して読むことでわかるのですね。
    「喚子鳥」については兼好の中で「鵺」と決めてそこへ沿う為に文献を示しているようで、こちらの納得には至りません。

    • 山川 信一 より:

      『徒然草』は気ままに書いている風をして、その実読み手への効果を周到に計算して書かれています。つまり、随筆のよさを存分に生かしています。

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