第百八十五段  馬乗り名人の正体

 城の陸奥の守泰盛は、さうなき馬乗りなりけり。馬を引き出させけるに、足をそろへて閾(しきみ)をゆらりと越ゆるを見ては、「是は勇める馬なり」とて、鞍を置きかへさせけり。又、足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「是は鈍くして、あやまちあるべし」とて、乗らざりけり。道を知らざらん人、かばかり恐れなんや。

城の陸奥守泰盛:「城」は秋田城介(平安時代以降、蝦夷を経略するために置かれた秋田城の責任者)の略。泰盛は、後に「陸奥守」も兼ねたのでこう言う。執権北条貞時の外祖父。

「城の陸奥の守泰盛は、並ぶ者がいない馬乗りであった。馬を引き出させた時に、足をそろへて敷居をゆらりと飛び越えるのを見ては、『これは気の立っている馬だ。』と言って、鞍を他の馬に置き替えさせた。また、足を伸ばして敷居に蹴躓くと、『これは運動神経が鈍く、事故があるに違いない。』と言って、乗らなかった。道を知らない人は、これほど恐れるだろうか、恐れないだろう。」

並ぶ者がいないほどの馬乗り名人の正体を説く。馬乗り名人と言えば、失敗しない、その高度な技術に目が行くだろう。しかし、失敗しないのには、それ以前に真の理由がある。それは極めて慎重であることだ。馬有っての馬乗りである。馬を侮ることはできない。まず、馬の性質をよく観察することが肝要である。微細な欠陥も見逃さない。少しでも、危険が予想される馬には、決して乗らない。恐れるくらいに馬に細心の注意を払い、慎重の行動する。それができてこそ名人になれるのである。
このように、名人が臆病なくらい慎重な人であるならば、物事は、印象と本質とはかくも異なるものになる。兼好はこうも言いたいのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    プロは凡人では気付かないような些細な変化を見逃さない事で大きな事故や失敗を未然に防ぎます。ただ物理的(体力、そのものの持つ潜在能力)に優れているだけでなく、管理能力にも長けている。自分の身の外側であればこそ、道具(この場合、騎乗する馬)の扱い、手入れは殊更入念にするのでしょう。技術屋さんのポカヨケを自らやっているのだから、泰盛は乗り手として、自分の手足となる馬にも熟知していたのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、泰盛の管理能力を讃えていますね。名人とは、危険を予め察知して、初めから危険に近づかない人のことだと言います。「君子危きに近寄らず」を実践できる人が名人なのでしょう。
      しかし、この考えは、慎重になるあまり失敗を恐れ、危険なことは一切してはならない、決して冒険を許さないという日本の文化の欠点に繋がります。人生をつまらなくしそうです。

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