第百六十九段  「何々式」の起源

「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどよりいふ詞なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、又内裏住みしたる事をいふに、「世のしきもかはりたる事はなきにも」と書きたり。

後嵯峨の御代:仁治三年(1242)三月から寛元四年(1246)一月。
建礼門院の右京大夫:建礼門院(1185没)の女房。
後鳥羽院:建久三年(1198)の頃から院政をする。

「『何事の式と言うことは、後嵯峨の御代までは言わなかったのを、近いころから言う言葉である。』と、ある人が申しましたが、建礼門院の右京大夫が後鳥羽院のご即位の後、また宮中にお仕えしたことを言うのに、『一般のやり方も変わっていることはないのにつけても』と書いている。」

式とは、元々律令の施行細則を意味する。それが日常でも「・・・の仕方」の意味で使われ出した。その「何事の式」という言い方がいつ頃から使われ出したのかを考証している。後嵯峨の御代までは言わなかったというある人の説を、建礼門院右京大夫集の記述を根拠にもっと古いと退けている。「・・・式」という言い方は今もするけれど、それにも起源があると思えば興味深い。しかし、『建礼門院右京大夫集』を唯一の根拠にするのはどうか。「世のしきもかはりたる」の「しき」は、「け」が抜け落ちている、つまり、正しくは「けしき(気色)」だという説もある。結論有りきで、都合のいい根拠に縋るべきではない。

コメント

  1. すいわ より:

    何の分野であっても、何かを検証する時に持論に都合の良いたった一つのサンプルだけを提示するのは検証とは言えません。多角的に対象に向き合ってこそ本質に迫れます。現代の情報化社会もそのソースが膨大であればあるほど精査されることなく放出されている感があります。鵜呑みにすることなく、自分の頭で冷静に判断しなくては。

    • 山川 信一 より:

      言葉の使用ですから、確かな使用例がひとつでも見つかれば、いいのかも知れません。しかし、そうなると、その確かさの検証が重要になります。昔の文書は筆で写していきますから、時に間違いも起こります。『建礼門院右京大夫集』にも伝本がいくつもあります。これだけでは、何とも言えませんね。

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