為兼大納言入道召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
為兼大納言入道:一二九八年、謀反により佐渡に流され、一三一五年には、土佐に流された。
六波羅:京都東山にあった北条氏の六波羅探題。
「為兼大納言入道が北条氏に召し捕られて、武士たちが取り囲んで、六波羅探題へ連れて行かれたところ、資朝卿が一条辺りでこれを見て、「ああうらやましいなあ。この世に生きている間の思ひ出は、誠にこのようでありたいものだが・・・。」とおっしゃった。」
為兼大納言入道は、北条氏の政治に逆らい、何度も流罪に遭う。資朝は、その己の身が危うくなったとしても、信じることは断行する生き方に共感している。後に、資朝も、北条氏征伐の企てに加わり、捕らえられ、一三三二年、佐渡で斬られることになる。自分の運命を既に予想していたのだろう。資朝の人となりを示すエピソードである。前段で語られた常識に囚われない型破りな性格を補強している。
兼好はこの段でも自らのコメントは加えていない。しかし、この破天荒な生き方を否定する印象は受けない。こういう人物が世の中を変えるのだと言いたいのだろう。ただ、歴史的に評価が定まっていることに基づいていて、少々小賢しい気もする。
コメント
前段に続いて資朝のエピソード、権力に媚びず、己の思うままに行動、発言する人となりに兼好は共感を覚えたのでしょう。「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」と思ったのは兼好自身なのかもしれない。資朝の口を借りるあたりが兼好らしいですね。
反権力の生き方には、多くの人が憧れを抱きます。保守的な兼好でさえもそうだったのでしょう。しかし、立場上表立って言えないので、こんな風に書いたのかも知れませんね。