第百十段  勝つと思えば負ける

 双六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。道を知れる教、身を修め、国を保たん道も、又しかなり。

「双六の名人と世間の人が言った人に、その方法を尋ねましたところ、『勝とうと思って打ってはいけない。負けまいと思って打つべきである。どんな手が負けてしまうだろうと考えて、その手を使わないで、一目であっても遅く負けるはずの手に従うのがよい。』と言う。これは、その道を知っている者の教えであり、身を修め、国を保とうとする道も、また同様である。」

前段に続いて、卑俗な例を挙げて、教訓を垂れる。ただし、今回は勝ち負けが伴う。
双六の名人の言う勝つ秘訣とは、勝とうと思うのではなく、少しでも遅く負けるように思うということだ。この方法は、他の芸道や修身・政治にも通じる。双六などというつまらない道でさえ、道を知っている者は、真理を得ると説く。
ただし、理由は、明らかにしない。自明のことだと思わせ、共感させるためにである。そこで、読み手はこっそりその理由を考える。自明のことがわからないのは恥ずかしいことだから。たとえば次のように。
勝とうと思うと、自分の都合のいいことばかり考えがちになる。その結果、冷静さを失う。冷静さを失うと、形勢が見えなくなり、正しい判断ができなくなる。また、勝って名誉や利益を得たいなどという邪念が入ることもある。そのために隙が生まれる。それに対して、勝負事は負けることが当然なのだと割り切り、その時期を遅らせることに徹すれば、結果的に人より勝ることになる。
なるほど、太平洋戦争での日本軍の戦いに当てはめれば、よくわかる。アメリカ軍に勝つことばかり考えて、負けることは考えようとしなかった。当時は、完全に冷静な判断を失っていた。しかし、この、言わば、守りの姿勢がすべてに当てはまるわけではない。人生は勝ち負けでは計れない。冒険することのメリットも忘れてはならない。
この段も、「(いひ)し」「(侍り)しかば」と経験の助動詞「き」を使い、自分の経験として語り、現実味、説得力を持たせている。

コメント

  1. すいわ より:

    前段に続いて油断すると足元を掬われる事になる、というのですね。勝ち負けのある場合の例を提示している訳ですが、なるほど、自分が優勢な時はゆとりがあるはずなのに、勝ちに逸って相手の手駒を隅々まで見渡す注意力を無くしているかもしれません。そんな時こそ自分の事だけでなく俯瞰で全体像を見る必要があります。そうした態度は勝ち負け、事の大小にかかわらず世の情勢を見る時にも流されない役にも立ちそうです。

    • 山川 信一 より:

      勝とうとすると、相手のことが関心の中心になり、その分、自分のことが見えにくくなります。
      藤井聡太四冠なら、この言葉の意味がよくわかることでしょう。

タイトルとURLをコピーしました